蟻の穴

入植図のコーナーでは
「こんな国境近くで肩組んでバリアはっとったら敵も責めにくいわねぇ」
青少年義勇軍のコーナーでは
「手なづけられとったんやね、心も体も、みな純真やから」
居留民現地定着方針のところでは
「どうやって生きていけゆうのー、恨まれてるところで」

お孫さんがいるとは思えない若々しい女性。
昭和8年生まれのお母さんを連れて来館されました。
メモをとりながら展示の文章を一生懸命読んでくれます。
難しい言葉は自分の言葉に置き換えながら、本質を理解しようと努めます。
帰ったら、息子やお嫁さんや孫たちに伝えなければならないからだそうです。
「蟻の穴も一つ、二つ、三つって増えたら決壊するのよ」
まずは自分の家族や友人たちから。

「知らんかったわー」と頭の中は飽和状態。
「忘れないように・・・」とぶつぶつ復習しながら帰っていきました。
そうです。帰ったら伝えなければならないので。
「あの人、こういうの好きだから」
いつも付き合わされているお母さんは半分あきらめ顔で笑っていました。



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# by kinen330 | 2017-12-06 19:22

元軍国少女たち

「原爆の時代に竹やりだにー」

昭和11年生まれ。元軍国少女たちが輪になって話してくれました。

入学したのは国民学校。
1年生の少女たちも竹やり訓練をしたのだそうです。
藁の人形を敵に見立てて「やー、やー」と。
そのほか裸足で寒い中を隣の小学校まで走らされたとか。
素っ裸で寒い冬に水に浸かるということもやらされたとか。
「それはどういう訓練なんでしょうか」
「精神鍛錬っていうことだったんじゃない」
「S校長がやらせたんだに。あの校長が厳しかったの」
「私、あれで今、神経痛が出るんだと思う」
「ワハハハハ・・・」

そして終戦。
まわりで大人たちが「日本が敗けた」と言っても
「アメリカ兵が上陸したら、私たちが竹やりでやっつけるんだ」と
やる気でいたのだそうです。



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# by kinen330 | 2017-11-18 11:06

おおかみの遠吠え

「ぉぉぉおーーーーーーーーーーーーーーー おぅおぅおぅおぅ」

はるか彼方にでかい太陽がゆらめいて降りていく頃、
おおかみの遠吠えが聞こえてくるの。
「今夜はここで寝るぞ」ということなんだな。
近くで聞こえると開拓団の大人たちが
「今夜は近くにいるぞ、羊や豚は気をつけろ」と言っておりました。

時には人間の赤ちゃんまでとっていったというおおかみ。
語り部Sさんは時々この遠吠えをしてくれます。
今日は小学校6年生7名の前でお話しをしてくれました。
子どもたちは目をまるくして聞いていました。

Sさんの遠吠えは、広い広い満州の大地を想像させます。
満州で生きた人の証しでもあります。

目を閉じて耳をすませると
今も闇の彼方から聞こえてきそうです。

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# by kinen330 | 2017-11-10 19:14

一緒に帰ろう

S開拓団は端から端まで約15キロ。
学校まで10キロ以上もあったNさんは、1年生の時から親元を離れて寄宿舎生活を送りました。
寄宿舎には男女合わせて60人程いたそうです。
宿題も、お菓子を配るのも、上級生が面倒をみてくれましたが、
寂しい夜には友達のふとんにもぐりこんだそうです。

敗戦後、S開拓団も混乱の中で自決をする人たちがでてきました。
同級生も3人亡くなりました。
Nさん一家も自決を覚悟で集落を出ますが、
中国人の長老が引き止めてくれました。

今、「幸せだなあ」と思う時、ふと、寄宿舎で一緒に過ごした友達の顔が浮かびます。
満州に残してきた友達。満州の土となって眠る同級生たち。
今年の5月、戦後になって初めて旧満州の開拓団跡地を訪れました。
「一緒に帰ろう。連れて帰るんだ」という思いでした。

訪中を終え、やっと自分の戦後も終わるんだなあと思ったそうですが、
これで終わってはいけないと、語り部を始めてくださいました。
「語りたくても語れない人もいるんだよ」と
奥さまが背中を押してくれるそうです。



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# by kinen330 | 2017-10-30 18:29

感謝状

額に入った大きな感謝状を手に、Tさん夫妻が来館されました。
平成8年。当時の県知事から、中国帰国者の身元引受人を務めたTさんへ贈られたものでした。

受け入れたのは、泰阜村開拓団で残留婦人となっていたSさん。
一家は満州で全員死亡したとして親戚が財産処分をしていたため
「帰って来ては困る」と身元引受人を拒みました。
そこで、帰国者支援に奔走していた中島多鶴さんが、
知人で会社経営者であるTさんに頼んだのだそうです。

Tさんは軽く引き受けたのですが、
帰国1ヶ月前になって役場から、住居を用意しておくようにとの連絡。
さあ困った、とTさんは使っていない事務所にお風呂とトイレを増設するなどリフォームして
Sさんと息子さん一家5人を迎えました。

息子さんを会社で雇って仕事を教え、
そのお嫁さんは中国の人で日本に馴染めず泣いてばかり、
小学校に通い始めた孫娘は2ヶ月で日本語を覚えた・・・などなど。
当時の帰国者と引受人になった人々双方のご苦労が偲ばれました。
一家は6年ほど経って自立され、Sさんは3年前に亡くなりました。

「よく美味しい餃子を作ってくれた」という奥さん。
「息子からはその後何の音沙汰もない」と苦笑いのTさん。

そんな話をお聞きしながら、
血まなこになって帰国者支援に尽くした多鶴さんの姿や、
祖国日本への望郷の念を募らせ、涙ながらに書いた残留婦人の手紙が浮かびました。
そして、Tさんのような方々がいたことも
歴史の一つとして刻んでおかなければと思いました。





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# by kinen330 | 2017-10-26 19:40

満蒙開拓平和記念館の非公式ブログ。記念館にまつわるよもやま話を綴ります。


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