Hくんの家族史
2024年 03月 10日
残留婦人で日本へ永住帰国した祖母のもとへ行くことになった16歳のHくん。
多感な年頃だった。
すでに義務教育の年齢は過ぎていたが、中学1年生に「入れられた」。
自分より身体の小さい年下の子どもたちに
「中国人、くさい」「汚い」といじめられ、
悔しいけれど言い返す言葉も分からず、つい手が出てしまうことも。
しかし、当時の担任はいじめた生徒を集め、一人ひとりにHくんに謝るよう指導した。
「本当だったら先に手を出した私の方が悪かったんですよ。」
かばってくれた先生とは、今でも時々会ってお酒を酌み交わす仲だそうだ。
さて、そんなHくん。日本に来て30年が経ち、今では娘二人の父親である。
「激動の歴史背景下でのH家の家族史をまとめてみようと思い立ち」、
自分の家族のルーツを調べ、冊子にまとめたものを今日、持参してくれた。
記念館にメールで問い合わせが来たのは3年前。
その時には、いつ、どこの開拓団で渡満したのかなど、ほとんど分からない状況だった。
終戦後に祖母の妹が亡くなった場所から、近くにあった出身県送出の開拓団ではないかと予想し、
県や厚労省などあちこちに電話をかけ、資料を取り寄せたり送ったり・・・。
不審がられたり、「もうやめたら?」という親族もあった。
しかしHくん、ついに開拓団在籍者名簿に辿り着き、引揚者記録もゲット。
曽祖父の軍歴証明まで手に入れた。
個人情報保護のため、情報開示には何かと証明書類が必要な昨今。
本当に苦労しただろうと想像する。
出来上がった冊子は、家族それぞれの移動が年表に分かりやすく整理され、
家系図あり、地図あり、写真あり。
何といっても、祖母から昔聞いた体験談を母親から聞き取った回顧録。
4人姉妹の長女だった祖母(当時13歳)は妹たちを引き連れて必死の逃避行をするが、
一人亡くし、結局3人は離散し中国人の養女となる。
奇跡的に終戦の翌年に引揚げることができた末の妹が
何通ものお手紙を寄せてくれて
当時の様子や戦後の苦労などを教えてくれたという。
彼女の証言が、この家族史に厚みをもたせている。
懸命に生きたH家の人々のかけがえのない記録だ。
高校生になった娘には、最近「お父さんの日本語、変」と言われるようになったという。
多感な年頃だ。
でも、いつか大人になった時、家族の歴史を知ってほしいと願っている。
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by kinen330
| 2024-03-10 20:08