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満蒙開拓平和記念館の非公式ブログ。記念館にまつわるよもやま話を綴ります。
by kinen330

二人の旅

花柄のスカートをはいた上品なおばあちゃんと、デニムのハーフパンツ姿の青年。
めずらしい組み合わせの二人がおしゃべりを弾ませながら展示を見ています。
大阪から昭和7年生まれの女性Kさんが名古屋在住のお孫さんと一緒に来てくださいました。

空襲が激しくなっていく大阪から、Kさん一家は疎開で満州へ行こうと申し込んだのですが既にいっぱいで締め切り。仕方なく北海道へ行ったそうです。
戦争が終わり数年経って大阪に戻りました。

時は流れ、80年代。中国残留孤児の訪日調査が盛んに報道されるのを釘付けで見ていたそうです。
歳の離れた弟たちがいました。あの時満州へ行っていたら、彼らは帰って来られなかっただろう・・・。紙一重の人生でした。

「日本にいた私たちはこんなに苦労された方々にどうやってお返ししたらいいか」
“お返し”というのは、報いるというか慰めるというか、いろんな思いが込められているのだと思います。
涙ぐみながら話してくださるKさん。
同世代に生きた人々の苦労を我がことのように受け止めておられる様子に胸が熱くなりました。

長野県の記念館に行きたいというおばあちゃんのリクエストをうけ、お孫さんはさっそく図書館で「満州国」について調べ、コピーを送ってくれたそうです。
お孫さんにとっては初めて出会う「満州国」。
今日も少々難しい本を2冊買っていかれました。
そして、スマホでバスを予約し、タクシーを呼び。
二人の旅はこれからも続くようです。
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# by kinen330 | 2016-09-24 18:45

Oくんのテーマ

地元阿智村の中学3年生30人が勉強にやってきました。
10月の文化祭の学習発表に「満蒙開拓」を選択した皆さん。
それぞれ自分のテーマを持って調べものです。

1932年に行った弥栄村開拓団と1945年に行った阿智郷開拓団の差は何ですか。
満州に子どもを置いてきた母親の気持ちが知りたい。
満州の農業について詳しく知りたい。農機具とかも。

などなど、難問に対応するのにあっちの資料こっちの資料と大忙し。

そんな中、
「どうして国策は止められないのか。満蒙開拓の歴史と今の時代を比べてみたい。」
というメガネの少年Oくん。おおっ!君は何者だ。
「満蒙開拓が進められたのは貧しさだけではなかったことは分かりました。ではなぜ進められたんでしょうか。」
するどい視点にひるみながら、本や資料を開き、先生も交えて意見交換。
「戦争遂行という国の目的が大きかったのでしょうか」
「国内の経済事情も変わってくる中、推進力になったのは何だったのか」
「“バスに乗り遅れるな”という地域内の論理も大きかったのでは」
「国も企業も満州に莫大な資本をつぎ込んでいたから後戻りできなかったのでは」
「・・・どっかで聞いたような話だなあ」

1945年の5月に渡っていった阿智郷開拓団を、
あの時、どうしたら止めることができたのか。
大きな時代のうねりに抗い止める力を、
私たちはどうすれば手に入れることができるのか。
Oくんが掲げたテーマにこの歴史から導き出せるものがあるのか。
一緒に考えていきたいと思います。
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# by kinen330 | 2016-09-09 18:29

お孫さんからのハガキ

メモ程度の業務日誌をつけています。
今年2月13日に「岐阜県Y開拓団のおじいちゃん家族来館。名簿を見てぽろぽろ涙する」とつけていました。

今日、そのとき一緒に来たお孫さんからハガキが届きました。
おじいちゃんは6月某日に永眠。享年87歳。
記念館に行ったことをとても喜んでいました、と。

おじいちゃんは昨年の夏に癌と診断され、
2月に家族4世代、記念館を訪ねる1泊旅行を計画し来てくれました。

11歳で渡満し17歳で引揚げ。
少年から青年へ。おじいちゃんの青春時代は満州にありました。
ソ連侵攻後は「団員一同自決を覚悟」と本にあります。
死線を越える壮絶な体験をされたのでしょう。

ぽろぽろ涙するおじいちゃんを、家族が見守っていました。
満州で生きた証が、名簿に刻まれていたのでしょう。
このお孫さんも「自分のルーツを探すことができてよかった」と。
おじいちゃんの命がつながって自分や家族があるのです。

「追伸 多くの方がこの場所で自分を見つけることができますように。」
ハガキの最後にこうありました。

こんなお手紙を書いてくれるお孫さんを持って
おじいちゃんは幸せだったと思います。
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# by kinen330 | 2016-08-31 18:32

父として

「この子を一度も抱けなかったから」

おじさんが青少年義勇軍で渡満したという女性が来館されました。

3年間の訓練を終えた後、義勇隊開拓団へ移行し、結婚して奥様を迎えます。
娘さんが生まれましたが、その時にはすでに召集されて団を離れていました。
その後のソ連侵攻で、残されていた婦女子たちは逃避行。
途中で幼い娘さんは亡くなりました。

おじさんは2年前に90歳で亡くなりました。
亡くなる前に、その娘さんの位牌を一緒に棺に入れてほしい、
自分の胸の上に置いてほしい、と頼んだそうです。
「この子を一度も抱けなかったから」と。

開拓団に妻子を残して召集された男たち。
その後の悲劇を聞いて、どんなに無念だったことでしょう。
自分を責めたことでしょう。

長い人生を終え、
一度も抱くことができなかった娘さんと一緒に
おじさんは旅立っていきました。
愛おしい我が子のぬくもりを抱きしめながら。
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# by kinen330 | 2016-08-27 18:33

戦争の悲しみ

「戦争の悲しみを知っていれば繰り返さないと思う。」

今日は記念館の子ども平和学習会でした。
真っ黒に日焼けした男の子3人が参加してくれました。
大きなお重のようなお弁当を持たせてもらっていました。

難しい満蒙開拓の歴史に、しっかりと向き合いました。
自分だったら、と一生懸命考えました。

最後に5年生の男の子が言いました。
「戦争の悲しみを知っていれば繰り返さないと思う。」

「戦争の悲しみ」をこれまでどれだけの人々が味わい、抱えてきたでしょう。
それでも繰り返されるのはなぜでしょう。
始まってしまい、止められないのはなぜでしょう。

繰り返さないための叡智が私たちに問われています。
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# by kinen330 | 2016-08-14 18:08