芽生え

ここにきて
こころがかわった。
わたしは、せんそうが
こわいです。
とてもいっぱい
いいことが
わかりました。

今日、小学生3姉妹とお母さんが遠くから来てくれました。
これは一番下の7歳のあかねちゃんが書いてくれた感想メッセージです。

戦争は怖い。
でもこの記念館で大切なことをいっぱい学んでくれたのだと思います。

「こころがかわった」

心が変わったんだ!
あかねちゃんの心の中の何かが芽生えたのかな。 
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# by kinen330 | 2017-03-12 19:10

こんなことなら

「こんなことなら行かせるんじゃなかった」

同級生2人が義勇軍に行って、一人は帰って来ませんでした。
彼のお母さんが家に来て、囲炉裏端でしみじみと言いながら
涙を流していたことが忘れられません。

90歳近い女性が、義勇軍のコーナーで話してくれました。

「こんなことなら・・・」
こう言って泣く母親が二度と生まれないよう
満蒙開拓の歴史を多くの人と学んでいきたいと思います。
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# by kinen330 | 2017-03-03 18:24

16歳が見た満州

「不行(プーシン)、不行(プーシン)」
乗り換えの牡丹江駅。
車両に乗り込もうとしていた現地の中国人の労働者たちを
「駄目だ、駄目だ」と叩き出す日本人の姿。

16歳のK少年が抱いていた“希望”は、満州へ渡ってすぐ“疑念”に変わりました。

学校でたたきこまれた「大東亜共栄圏」とは ―。
「五族協和」ではなかったのか ―。

昭和18年7月初旬から100日間、
農学校の代表として満州の修練農場に派遣された時の話です。
あれから70年余。
今でも一番心に残っているのは、農作業の合間に喉を潤してくれた生大根のうまさと、
あの「不行(プーシン)、不行(プーシン)」なのだそうです。
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# by kinen330 | 2017-02-25 14:34

中国との戦争

先日、県内の小学校6年生16人が来てくれました。
展示ガイドをしながら、時々子どもたちに質問します。

「この写真は何か分かる?」
「マユ!」「カイコ!」
「よく知ってるねー」
「学校で飼ってたの」

「大正時代の終わり頃、日本の輸出の主力商品の一つが生糸でした。じゃあ、今は何?」
「車!」

反応のいい子どもたち。

そしてソ連侵攻のコーナーへ。
8月9日に満州へ侵攻してきたソ連軍は150万人以上というものすごい兵力でした。
一方、日本の関東軍は昭和18年あたりから次々と南方戦線へ転用されており、まともに対峙できる状況ではありませんでした。
そこで質問。
「その頃、日本はどこと戦争していたの?」

「中国!」

驚きました。複数の子が即座に「中国」と言いました。
ああ、その通りだよ、キミたち。そうだよね。
多くの人がここで「アメリカ」と答えます。
多くの日本人がアメリカと戦争して敗けたと思っています。
日中戦争の認識が薄い私たち。
終戦時、外地にいた日本陸軍約200万人のうち中国(旧満州を除く)には約105万人も配置されていました。
でも、中国で、アジアで行われた日本の戦争について、私たちはあまりにも学んでいません。
彼らは昨年の修学旅行で、東京大空襲戦災資料センターにも行っており、もちろん太平洋戦争のことも勉強しています。そして卒業前に満蒙開拓平和記念館に来ました。日中戦争を、いえ、満州事変から始まる15年戦争を学んできたのですね。

刻むべきは敗戦の歴史だけではない。
6年生に教えられました。
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# by kinen330 | 2017-02-19 19:15

教育方針

「母は樺太から終戦2日前に引揚げて来たんです。
 その苦労話をよく聞かされました。
 彼女の教育方針は、
 男でも女でも、YES・NOがきちんと言えること、
 自分で判断できること。
 私はそうやって育ちました。」

帰り際に話してくれたその女性は
話しながらこみ上げてくる涙に声を詰まらせていました。
満州から引揚げて来た人々の証言をじっと読んでいました。
母親の体験と重ね合わせながら。
活字を自分の中で消化しながら。

歴史に学び、平和な社会を築くために
次の世代をどう育てるのか。
私たちの責任です。

その女性の姿に、お母さんへの誇りを感じました。
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# by kinen330 | 2017-02-12 18:00