親父の満州と

「開拓のことは、なんか、いやでねえ」

父親が元開拓団というKさん。ご本人は戦後生まれです。
慰霊祭にも遺族会の集まりにも訪中団にも、
自分は参加してきませんでした。

昨年、88歳で亡くなった父親。
満州のことはほとんど口にしませんでしたが、
70代で頭に怪我をおってから、
夜中に訳の分からないことばで寝言を言うようになりました。
「日本語混じりの中国語で、わわわわーっと。
 どうしても帰らんといかん!とかね。」

終戦時17歳だったKさんのお父さん。
開拓団の頼りになる男性たちは根こそぎ召集でいません。
なんとか食糧を得るために、避難民生活の中、働きに出ます。
「あんたのお父さんのお陰で帰って来れた」
よく、そう話してくれるくれる人もいました。

17歳の少年は、開拓団の人たちを守るために、
なんとか日本へ帰るために、
戦後の動乱の満州で必死で生きたのでしょう。

60年も経ってから、無意識の中で呼び覚まされる満州の記憶。

「ここができたことは知っていたんだけど。」
満州のことには触れたくなかった。
触れてはいけない傷跡が、父親の心の奥深く沈められていることに
気付いていたのでしょう。
今日は若い息子さんと二人、来館したKさん。
記念館の天井を仰ぎ見ながら「親父を連れて来てやれてたら・・・。」
ようやく、この歴史と向き合えるようになりました。
長い時間が必要でした。




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# by kinen330 | 2017-08-18 18:03

こころのなかにいれる

ーわたしは、よくよくせんそうが人をこらしめるのがわかりました。
 せんそうわいいことなんかないとか、かぞくにもあえない
 そんなことがあったのがよくわかりました。
 わたしは、いませんそうがなっても、
 みんながかなしいのを こころのなかにいれたいとおもいます。ー

アオイちゃんが書いてくれた感想メッセージです。
1年生くらいかな。

戦争になったら、みんなが悲しむということを
「こころのなかにいれたい」

終戦の日 8月15日。
戦争の悲しみを心に刻む。

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# by kinen330 | 2017-08-15 19:08

遠くの友へ

月刊誌『少年倶楽部』は当時30銭。
吉川英治や大佛次郎など一流作家陣による少年向けの長編小説をそろえ
人気を博していました。

「30銭っていうのはとんでもない金額だった」

9人兄弟の8番目だったTさんにはとても手が出せません。
そこで、友達とグループを作って毎月順番に購入することにし、回し読みをしました。
自分の番になるまでにお小遣いを一生懸命貯めていたのです。
ワクワクする冒険物語を少年たちが夢中になって読み、
興奮を分かち合う姿が浮かびます。

その友人の一人、I君が満州へ一家で移住しました。
場所は「満州里」という内モンゴルにあるソ満国境の街。
当時はそれがどの辺なのか知りませんでした。

ある時、I君へ読み終わった『少年倶楽部』を送りました。
父親が、雑誌を丸めて帯に宛先を書いてくれました。
「満州国・・・満州里・・・  〇〇様方 〇〇様」

しばらくたって親御さんからお礼状が届きました。
深い深い感謝の念が書かれていました。

最果ての地、「満州里」。
『少年倶楽部』を受け取ったI君はどんな思いだったでしょう。
浮かんでくる遠い故郷の山河、友人たちの顔、顔、顔。
冒険物語の興奮よりも、分かち合う友がいない寂しさに暮れたかもしれません。

I君一家は結局、帰ってくることができませんでした。

少年たちの夢や友情を引き裂いたあの時代、満州とは。
Tさんは今でも時々、遠くに行ったI君の面影が浮かんでくるそうです。
『少年倶楽部』の思い出とともに。




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# by kinen330 | 2017-08-02 19:10

スイッチ

「開拓団は何だったんでしょう」

今日来館した中学生を前に「語り部」講話をしてくださったMさん。
最後に生徒たちに問いかけました。

「開拓団は何だったんでしょう。
 侵略で行かされて、棄てられて。
 ハルピンの収容所で助けてくれたのは、
 国じゃなくて、軍じゃなくて、
 日本人会とか県人会の一般の方たちだったんです。
 帰ってから、皆さんで満蒙開拓について話し合ってください。」

終わったあと、先生方がおっしゃっていました。
Mさんの「開拓団は何だったんでしょう」という問いの投げかけに
生徒たちもスイッチが入ったと思います。
私たちは昔話を聴きにきたんじゃない。
教えてもらいにきたんじゃない。
自分たちで考えることなんだと。

「満蒙開拓とはいったい何だったのか」
この問いを多くの人たちに投げかけ、一緒に考えていきたい。
そのためには、向き合いにくいことにも目を向けなければ。

自ら考えるというスイッチON!





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# by kinen330 | 2017-07-14 18:27

メイファーズ

――「メイファーズ」
 この言葉が耳に残ってるの。よく中国人が言ってたんです。――

メイファーズとは「没法子」。
中国語で「仕方がない」「しょうがない」という意味です。

終戦時は10歳だった少女は、物心ついた時には満州の開拓団の村にいました。
日常の中でよく耳にした「メイファーズ」。
子どものいたずらにさえ、本人をたしなめることもできず、
もちろん大人たちに言いに行くこともできない現地の人々。

日本の統治も「没法子」だったのか。
家や土地を立ち退かされたことも。

学校の寄宿舎になった建物は、中国人の大家族の家だったところで、
床に幾重にも重ねて敷き詰めてある紙が油や汚れでテカテカになっていたそうです。
それだけ何年も、何十年もそこに生きてきた家族の歴史があったのです。

ソ連侵攻と共に各地で暴徒と化した現地の人々。
決して「没法子」ではなかったのです。


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# by kinen330 | 2017-07-02 19:04

満蒙開拓平和記念館の非公式ブログ。記念館にまつわるよもやま話を綴ります。


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