人の生き方

「戦争の中でも優しさがあったことを初めて知りました」

今日、大阪から中学校が修学旅行で来てくれました。
3年生、約120人。
前半後半に分かれて語り部さんのお話しを聴きました。
戦争体験を当事者から聴くのはみんな初めてです。

前半の語り部Mさん。終戦の時は11歳です。
開拓団は最後まで集団で行動しました。
団の学校に集結して冬を越し、春になってハルピンへ移動。
途中、病気で亡くなる人も大勢いましたが、
越冬している時、現地の人たちからの襲撃はあまりなく、
ハルピンまでの300キロの移動の際も、
行く先々で現地の人たちにお世話になったそうです。
それもこれも「先に立つ人たちが命がけで交渉にあたってくれたのだと思います」
とおっしゃいます。

「戦争の中でも優しさがあったことを初めて知りました」
終了後の感想発表の一つです。
「苦しい中でも人の感情を失わなかった人がいたことを学びました」
まとめの話で先生もこのようにおっしゃっていました。

”戦争”というとすべてが悲惨なこと、真っ暗というイメージなのかもしれません。
でも体験談の中には様々なエピソードがあります。
中には、助けてくれた人がいたり、自分以外の人のために命がけで行動した人もいました。
戦争の歴史から、語り部さんのお話しから、何を学ぶのか。
中学生の気付きに、私も大切なことを気付かされました。








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# by kinen330 | 2018-05-30 19:06

お弁当づくり

大阪から、30年ほど前に中国帰国者の皆さんの支援活動をしていたというKさんが来館されました。

親と一緒に帰国し、日本の学校に通うようになった子どもたちにも、いろいろな苦労がありました。
ある時、学校からお弁当を持参するよう言われて、親に持たされたのは“お弁当箱”。
中国ではお弁当という文化がなかったのです。
切なかったことでしょう。
そこでKさん、親を対象にしたお弁当づくり教室を企画。
ガールスカウトのグループのお母さんたちが協力してくれました。
まずは日の丸弁当から始めたそうです。
中国からきたお母さんたちと日本のお母さんたちが
わいわいお料理をしている姿が目に浮かびます。
このようなところから、交流、理解が広がっていったのだと思います。

また、日本語教室に声楽家の友人を紹介したという話も。
難しい日本語も、歌になるととっつきやすい。
定着促進センターに滞在する4ヶ月の間に1曲は覚えよう!とやっていたそうです。

訪日調査が進み、中国からたくさん日本へ帰ってきていたあの頃。
言葉や生活習慣の違いでさまざまなトラブルがあったことと思います。
一方で、Kさんのように寄り添い支える人たちもたくさんいました。

「このような記念館をつくってくれてありがとうございます。」
今は白い杖を持つ身になったKさん。
懐かしそうな笑顔を残しながら、ご友人の車で帰って行かれました。












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# by kinen330 | 2018-05-20 20:12

遠く中国から

「日本の人たちは、あたたかく見守ってほしい」

中国黒竜江省ハルピンに「中国養父母連絡会」というボランティア団体があります。
日本人孤児を育てた養父母の支援をしている団体で、昨日、代表の胡暁慧さんが来館され、飯田市で講演をされました。

養父母たちは自分の生活も厳しい状況の中で日本の子どもたちを引き取って育てました。
そして、祖国日本の本当の家族のもとへ帰っていく“我が子”を断腸の思いで送り出しました。
日本へ帰った残留孤児・帰国者たちの多くは自分の生活が精一杯で、養父母のことを顧みる余裕がありませんでした。
残された養父母達の喪失感・孤独ははかり知れません。
それでも、遠く中国から“我が子”の幸せを祈っていたのでしょう。

そのような年老いた養父母を精神的に支えたのが「養父母連絡会」でした。
「他人の子ども、日本人の子どもを引き取ることは、強く優しい気持ちがなければできないこと。私は彼らを尊敬している」とおっしゃいます。
胡さんはこのボランティア活動を34年間続けてこられました。
戦後70年以上が経過し、養父母たちも多くは亡くなっています。
でも、まだ心残りがあると言います。

ひとつは、いまだに「中国残留日本人孤児」であることが認定されず、調査にも至っていない“残された人たち”がいること。彼らに日本を見せてあげたい。
そして、日本に帰っても差別を受け苦しんでいる孤児たちがいることです。
「日本の人たちはあたたかく見守ってほしい。社会に溶け込めるよう、関係者の協力をお願いしたい」と。

今でも、遠く中国から日本に帰国した孤児たちのことを案じている人がいることに、胸が熱くなりました。
この思いに少しでも応えたいと思います。







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# by kinen330 | 2018-05-03 14:56

幸せとは

「私たちのような若い人たちに伝えたいことがあればお願いします。」

女子短大の学生さんたちが今年も来てくれました。
介護福祉の勉強をしている皆さんです。

語り部のおばあちゃまHさんのお話しのあと、このような質問がでました。
そこでHさん、
「自分は大事な人間だということを信じてください。それが幸せになることだと思います」と。
Hさんは自分よりも親が言うことを信じて大人になったと言います。
大人が言うこと。国が言うことを信じた・・・。

3人の子どもを育て上げ、今はひとり暮らしのHさん。
自分だけの食事は作り甲斐がないよ、と笑います。
83歳の今でも時々、近くの養護老人施設へボランティアに行きます。

「ひとのために尽くすことは幸せです。
 みなさん、介護の仕事を選んでくれてありがとう。
 私もいつかお世話になるかも知れません。」

いろいろなことを乗り越えてきたHさんの言葉を
若い人たちはどう受けとめたでしょうか。



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# by kinen330 | 2018-04-28 11:55

あきらめきれない

「どうしてもあきらめきれなくて。何か手掛かりがあるんじゃないかって。」

80歳前後の姉妹が車で2時間以上かけて来てくださいました。
お兄さんが昭和20年の3月、18歳で満州へ行き、そのまま消息不明。
官吏のような仕事だったそうで、当時、満州から来た手紙に「東安」という地名が書かれていたことだけは覚えているとのこと。
開拓団ではないので記念館では名簿もなく、お力になれません。

戦後、公報(死亡告知書)を受けとるように役場から何度も連絡がありました。
両親は拒み続け、だいぶ後になってからお葬式を出しました。
お墓には「昭和20年8月9日」と刻まれています。ソ連侵攻の日です。

妹さんは「いつまでもこだわっていないで忘れろ」と言います。
でも、お姉さんの方はどうしても納得ができずにいました。

敗戦の混乱の中、満州では大勢の人が消息不明となり、
戦後「未帰還者特別措置法」で死亡宣告を受けています。
最期を見届けた人もなく、当然遺骨も何もありません。
納得いくはずがありません。

ぽろぽろとこぼれる涙。

忘れなくていいと思います。
納得しなくていいと思います。
お兄さんのための涙は、戦争への怒りの涙。
個人の生死も尊重されない、尊厳を奪われるのが戦争であり
その事実を容認してはいけないのだと思います。















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# by kinen330 | 2018-04-08 19:26

満蒙開拓平和記念館の非公式ブログ。記念館にまつわるよもやま話を綴ります。


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