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疑問と気付き

① 今まで日本人は礼儀正しく謙虚だと言われていたしそう思っていたが、そうではなかった面もあったことに戸惑っている。満州を手に入れて、現地の人たちに言うことを聞かせて働かせて、どうしてそのようなことができたのだろうか。
② 満州事変は"自作自演"だったというのは信じきれていなかった。満州事変を起こすメリットが分からなかったから。
③ もともと満州にいた人たちから見れば、ちょっとだけやってきた日本人がソ連軍が入ってきて軍隊も撤退していった。でもその残された日本人を預かってくれたり助けてくれた。受け入れてくれたことが信じられない。私だったら考えられない。

今年、展示ガイドに挑戦しようとこの歴史を学び始めたYさん、高校2年生。
「中国人の苦力(クーリー)を馬屋に寝泊まりさせて使っとった」などの体験者の話は彼女の知らない日本人の姿だったのだろう。
彼女の率直な疑問と気付きに、こちらの方が大いに感心し気付かされた。
「ほとんど知りませんでした」と恥ずかしがりながらも、ネットで読んでいた知識や自分の持っていた印象を言葉にしてみるところから対話となって視野が一気に広がっていく。

学ぶこと、知ることの面白さ。知ったからこそ生まれる新たな疑問。
「重いですね~」
単純ではない満蒙開拓の歴史について、自分の観念を取り払い、外枠から少しずつ近づいていく。
彼女が来館者を前にどのように語るのか。
その歩みを見届けたい。

# by kinen330 | 2025-06-07 18:09

掃除

朝に夕に、掃除をします。

私は、朝は雑巾を持って館内を回ります。

今朝は、展示コーナーのガラスケースに手指のあとがたくさんついていました。
子どもたちが熱心に覗き込んでくれた様子を想像し、嬉しくなりました。
中国残留孤児の人たちが山本慈昭さんに宛てた手紙。
青少年義勇軍の村々への送出割当表。
ボランティアのガイドさんたちが熱心に展示を説明する姿も浮かんできます。

夕方はモップをかけたりトイレ掃除をします。
来館者が多い時は砂もホコリも多く、
セミナールームのテーブルには消しゴムのかすが残っていたりします。
学習講話やワークショップで一生懸命メモをしていた姿を思い出します。

昨日は大阪から修学旅行の中学生。
今日は県内の高校生。
そして、明日は県内の小学生がやってきます。

掃除のやりがいがある方がありがたいというものです。

# by kinen330 | 2025-06-05 18:41

泥水のような

5歳の時に満州から引揚げてきたという男性。
満州でのことはほとんど記憶にないけれど、
引揚げ船で出された味噌汁が「泥水のようだった」という印象を
強烈に覚えているという。
「こんな国へ行くのかと思った」そうだ。

「泥水のようだった」という言葉に、
幼い少年の心に渦巻く不安が伝わってくるようだ。

満洲育ちの少年が帰っていった日本という国に
居場所はあったのだろうか。
どのような国だったのだろうか。

# by kinen330 | 2025-05-29 17:58

記憶にない満州

「日本は浮かれすぎよねぇ」

可愛らしい帽子をかぶった可愛らしいおばあちゃんが
帰り際に窓口で話していかれました。

ご本人は幼児の時に母親に連れて帰られた満州引揚者。
記憶は何もないそうです。
引揚港である葫蘆島の写真などを見て、感慨深げのご様子でした。

母親は「人間が一番怖い」と言い、
具体的には何も語りたがらなかったそうです。
意味深な言葉です。
何を見、どんな目に遭ってきたのでしょう。
そして娘さんには、「記憶がないことが一番の贈り物」と
おっしゃっていたそうです。
そうかもしれません。
この方が、あと2歳、3歳大きかったら・・・。

地獄のような体験が、心の深い傷になった人もいました。

記憶はないこの方も、
今の日本の空気に危うさを感じているお一人のようです。

# by kinen330 | 2025-05-02 18:09

土曜セッション

「有ったことを 無かったことにはできません」

ああ、この揺るぎない信念で動いてきた人なのだと改めて納得した。
語り部定期講演に続く新企画「土曜セッション」。
第1回目のゲストは、岐阜県黒川村開拓団の遺族会長、藤井宏之さん。
終戦後の満州で、現地の人たちからの凄まじい襲撃、略奪にあう黒川開拓団。
犠牲者も出ていた。
近くに駐留していたソ連軍に助けを求めることに。
その見返りとして、開拓団の未婚の女性たちが差し出され、性被害を強いられた。

この史実は戦後伏せられたままだった。

2011年、初めて戦後生まれの遺族会長に就任したのが藤井さんである。
記念館との交流の中で、女性たちのうちの2人を語り部定期講演に連れて来てくれた。
初めて、その性被害が公の場で語られ、その後、メディアが報じ、全国的に注目を浴びることとなる。

「とにかく、女性たちの話を聴いてあげてほしい」
取材の窓口となって対応してきた。
この史実がいろいろなところに残ることが大切だと思い、取材を断ったことはないという。
開拓団が女性たちに犠牲を強いたこと。
戦後の遺族会も口をふさいできたこと。
自分の父親も無関係ではない。
そんな不都合な史実をオープンにすることに抵抗はなかったのだろうか。

「有ったことを 無かったことにはできません」
ためらいなく語る藤井さんの姿に、やはり、藤井さんだからこそ今があると思った。
女性たちの声が社会に届き、女性たちやその家族と遺族会の確執が解きほぐされてきたのだ。
真実に向き合うことの難しさ、痛みもある。
でも、向き合ったからこそ生まれる和解がある。

「ポスト体験者の時代」にどのように歴史を継承していくのか。
大きな課題となっている。
次世代の語り部を養成する試みも各地でおこなわれてきた。
どこも試行錯誤だ。
でも、「語り部」に資格や条件が必要なのだろうか。
養成しなくても、知識を詰め込まなくても、
体験者たちと関わり、共に歩んできた人たちがいる。
まだ声を上げられない人たちもいる。

「土曜セッション」は新しい語りの場であり、対話の場であり、分かち合う場。
その「場」を多くの人たちとつくっていきたいと思う。


# by kinen330 | 2025-04-13 19:48

満蒙開拓平和記念館の非公式ブログ。記念館にまつわるよもやま話を綴ります。


by kinen330