もう一人の兄さん

「親父は自分の子どもを亡くすよりよっぽど辛かったと思います」

Nさんは昭和15年に開拓団として満州へ渡りました。まだ6歳でした。
両親と姉2人、兄1人。
途中で父親の姉の息子、Nさんには従兄にあたる少年も故郷からやってきました。
開拓団で独り立ちするまでNさん一家が預かることになっていたそうです。
10ほど年上で、Nさんにとってはもう一人の「兄さん」でした。

しかし、敗戦後の混乱の中、開拓団の一部の集団自決の場に居合わせてしまい、亡くなります。

Nさん一家はその後の収容所生活などを乗り越え、全員無事に引き揚げてきましたが、

「親父は亡くなったことをどのように伝えたのか・・・。
 自分の子どもを亡くすよりよっぽど辛かったと思います。
 親父は生涯、このことを背負って生きていたと思います。」

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# by kinen330 | 2018-12-08 19:17

共に怒る

某県M市からはるばる来てくださったOさん。
M市職員で、今年の春から中国帰国者支援の担当になりました。
そこで初めて帰国者の方々から直接体験談をお聴きし、衝撃を受けたそうです。
そして、歴史を学ぶために記念館にぜひ行きたいと思っていたとのこと。

帰国者本人だけでなく2世や3世の人たちが抱える問題も深刻だそうです。
残留孤児、残留婦人と一緒に日本へ来た子どもや孫世代。
中には40代、50代になってからの人たちもいます。
「その年齢になってから日本語を覚えるって、大変ですよねぇ」と
自分のことのように話されます。

中国帰国者の背景にあった歴史を知らない日本社会。
中国への印象が決して良いとはいえない日本社会。
いろいろな無理が蓄積したのでしょう、精神的な病を抱える人も少なくないそうです。

ある時、M市内の病院の医者からこんな電話が。
「言ってることが分からないんだよ。あの人、日本人なんだろう?」
日本語が通じない帰国者の患者の診療に困ったという相談(クレーム?)でした。
「腹が立って・・・」
心無いその医者の言葉に怒るOさん。
通訳が同行できることを伝えましたが、やりきれない思いが残っています。

たまたま配属された部署で出会った中国帰国者という人々。
きっと3年くらいで他の部署へ異動になりますが、
「せっかくの機会ですから」と笑顔で帰って行かれました。

Oさんのように共に怒り、共に喜ぶ人が1人でもいてくれることが
地域の帰国者の皆さんの支えになるのではないかと思います。
そして、その1人を増やしていくために記念館はあるのだと思います。



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# by kinen330 | 2018-11-25 15:01

残された家

「満州に行った人の家に住んでいたんですよ。だからこの歴史は気になっていました。」

団体さんに展示の案内をしている途中、一人の男性がため息混じりにおっしゃいました。
思わず口に出た、という様子でした。
住んでいた家が火事になり、移り住んだ家が開拓団として満州へ行った人の家だったそうです。

開拓団は移民でした。
満州で生きていく決断をした人たちです。
家や土地は処分していきました。
家は人手に渡ったり、壊されて畑になったり。
そのため、引揚げてきた時には帰る家はありませんでしたし、
生きて帰ってこられた人ばかりではありませんでした。

展示に見る逃避行、集団自決、収容所生活、引揚げ、残留・・・。

「その人たちはどうなったのか・・・」
見ず知らずの一家に思いを馳せておられました。
いろいろな「満州」があるのだなと思いました。



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# by kinen330 | 2018-11-10 12:10

桜の記章

昭和17年に青少年義勇軍で満州へ渡ったTさんが、
卒業前に写したクラス写真を持参してくれました。
学生服を着た少年たち、総勢46人が5段に並んでいます。
中にTさんを含む3人が左胸に白いバッジをつけています。
桜の記章。満蒙開拓青少年義勇軍の記章です。

義勇軍に行く3人は卒業の少し前からこの記章を学校につけてくるよう言われました。
下級生たちからは「いいぜ、あの人。満州に行くんだぜ」と言われ
同級生たちからもうらやましがられました。
「おだてられて、ちやほやされて、てんぐになった。優越感を感じたね。」

Tさんのひとつ上の学年からは誰も義勇軍に行きませんでした。
担任の先生は満州へ視察に行くなどして気合いを入れていました。

しかし、3人のうち1人は昭和19年、腹膜炎を煩い満州の病院で亡くなり、
もう1人は逃避行の途中で行方不明になったままです。
Tさんもソ連侵攻時は国境守備隊に配属されており、
なんとか助かったものの、敗戦後はシベリアに抑留されました。

白黒のクラス写真。桜の記章を胸につけた3人の少年は、少し誇らし気に見えます。
「宣伝効果に一役買ったんだね」
自嘲気味に笑うTさん。
当時の国や社会、教育が14歳の少年に植え付けたものとは。



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# by kinen330 | 2018-10-19 19:27

中学生の「なぜ」

・満州の様子は日本に伝わっていたのですか。
・満州にもともといた現地の人と仲良くする方法はなかったのですか。
・ソ連や中国の人に追われるようになることを当時は予測できなかったのですか。
・どうして普通の開拓団だけでなく青少年義勇軍をつくったのですか。
・送りだした人はどんな気持ちだったのですか。
・なんで開拓団の人は日本が負けるということを考えなかったのですか。
・なぜ満州から帰ってきた人を心から受け入れてあげられなかったのですか。
・今でも取り残されたまま帰れなくなっている人はいるのですか。
・満蒙開拓は日本に利益をもたらしていたのですか。また、結果的に満蒙開拓は日本にとってよいものだったのですか。
・満州に渡った人たちがこんな目にあわないようにするには、どうしたら良かったのでしょうか。
・中国の人たちは今でも日本人を嫌っていますか。
・なぜ戦争体験者の方々が、今になって満蒙開拓のことなどを語りはじめたのか知りたい。
・日本はなぜ戦争をしたのですか。
・三沢さんが当時の村長だったらどのような判断をされますか。
・「これだけはわかってほしい」ということはありますか。
・三沢さんが思う平和とは何ですか。

たくさんの「なぜ」を持って中学生が来館してくれています。
答えも正解も簡単には出せません。
一緒に考えています。
考えることが大切なのだと思います。




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# by kinen330 | 2018-10-07 14:44

満蒙開拓平和記念館の非公式ブログ。記念館にまつわるよもやま話を綴ります。


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