望郷

「この松花江を泳いでいったら日本海へ出て、日本へ帰れるんじゃないかと思いましたね」

今日、記念館で「語り部」をしてくださったMさんは、昭和10年生まれ。
「語り部」では若手!の男性です。

所属していたのは、戦後7割以上帰還できなかった開拓団でした。
収容所生活の中で独りぼっちになり、中国人に預けられました。
その家の子ども達は一緒に遊んでくれて、中国語もたくさん覚えました。
でも、近所の豆腐屋へ大豆を挽くロバの見張り役として働きに出ると、
どなられたり、蹴飛ばされたりしたこともあったそうです。

“日本に帰りたい”
たった10歳の少年が抱く望郷の念・・・。その強烈な思い・・・。
帰る術も分からず、ただ流れる大河を見つめていたのでしょう。

以前、やはり満州で悲惨な収容所生活を送ったという女性が、
「海がなければどんなことをしても歩いて日本に帰った」と言っていました。

日本政府は1945年8月14日、
「居留民は出来得る限り定着の方針を執る」との訓令を
在外現地機関に送っていたのでした。
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by kinen330 | 2014-07-21 18:42