南方へ

「正直、来づらかったです。」

遺族会の慰霊祭を終えた足で記念館に来たという男性。
父親は関東軍の将校でしたが、南方転出の命を受け昭和19年3月、4個師団1万2千人を率いて大連の港から横浜、父島を経由しパラオへ。最後はペリリュー島で亡くなったそうです。

満州を守るはずの関東軍でしたが、南方戦線が激しくなる中、南方への転出が進められていました。
開拓団を含む一般邦人の多大な犠牲の要因の一つに、この関東軍の戦力低下が挙げられます。その穴埋めのように開拓団からも男性たちが召集されていきました。
ソ連侵攻時の開拓団の婦女子の悲劇は語り尽くせません。

しかし、南方へ移動した兵士たちも、熾烈な戦闘のほか飢えと病気で大勢犠牲になりました。
「アメリカ軍に飛行場を作らせないための持久戦。人間が兵器として使われたんです。」

この記念館のことがずっと気になっていたという男性。
関東軍が去った後の満州での悲劇に、心を痛めておられたようです。
だから「来づらかった」と。

70を過ぎた私の目の前にいるこの男性も、父親の顔も知らず生きてきたのだ・・・。
記念館に来てくださる様々な立場の人たちに出会い、様々な戦争があったことに思い至ります。
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by kinen330 | 2016-10-22 12:51

満蒙開拓平和記念館の非公式ブログ。記念館にまつわるよもやま話を綴ります。


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