16歳が見た満州
2017年 02月 25日
「不行(プーシン)、不行(プーシン)」
乗り換えの牡丹江駅。
車両に乗り込もうとしていた現地の中国人の労働者たちを
「駄目だ、駄目だ」と叩き出す日本人の姿。
16歳のK少年が抱いていた“希望”は、満州へ渡ってすぐ“疑念”に変わりました。
学校でたたきこまれた「大東亜共栄圏」とは ―。
「五族協和」ではなかったのか ―。
昭和18年7月初旬から100日間、
農学校の代表として満州の修練農場に派遣された時の話です。
あれから70年余。
今でも一番心に残っているのは、農作業の合間に喉を潤してくれた生大根のうまさと、
あの「不行(プーシン)、不行(プーシン)」なのだそうです。
乗り換えの牡丹江駅。
車両に乗り込もうとしていた現地の中国人の労働者たちを
「駄目だ、駄目だ」と叩き出す日本人の姿。
16歳のK少年が抱いていた“希望”は、満州へ渡ってすぐ“疑念”に変わりました。
学校でたたきこまれた「大東亜共栄圏」とは ―。
「五族協和」ではなかったのか ―。
昭和18年7月初旬から100日間、
農学校の代表として満州の修練農場に派遣された時の話です。
あれから70年余。
今でも一番心に残っているのは、農作業の合間に喉を潤してくれた生大根のうまさと、
あの「不行(プーシン)、不行(プーシン)」なのだそうです。
by kinen330
| 2017-02-25 14:34