感謝状
2017年 10月 26日
額に入った大きな感謝状を手に、Tさん夫妻が来館されました。
平成8年。当時の県知事から、中国帰国者の身元引受人を務めたTさんへ贈られたものでした。
受け入れたのは、泰阜村開拓団で残留婦人となっていたSさん。
一家は満州で全員死亡したとして親戚が財産処分をしていたため
「帰って来ては困る」と身元引受人を拒みました。
そこで、帰国者支援に奔走していた中島多鶴さんが、
知人で会社経営者であるTさんに頼んだのだそうです。
Tさんは軽く引き受けたのですが、
帰国1ヶ月前になって役場から、住居を用意しておくようにとの連絡。
さあ困った、とTさんは使っていない事務所にお風呂とトイレを増設するなどリフォームして
Sさんと息子さん一家5人を迎えました。
息子さんを会社で雇って仕事を教え、
そのお嫁さんは中国の人で日本に馴染めず泣いてばかり、
小学校に通い始めた孫娘は2ヶ月で日本語を覚えた・・・などなど。
当時の帰国者と引受人になった人々双方のご苦労が偲ばれました。
一家は6年ほど経って自立され、Sさんは3年前に亡くなりました。
「よく美味しい餃子を作ってくれた」という奥さん。
「息子からはその後何の音沙汰もない」と苦笑いのTさん。
そんな話をお聞きしながら、
血まなこになって帰国者支援に尽くした多鶴さんの姿や、
祖国日本への望郷の念を募らせ、涙ながらに書いた残留婦人の手紙が浮かびました。
そして、Tさんのような方々がいたことも
歴史の一つとして刻んでおかなければと思いました。
平成8年。当時の県知事から、中国帰国者の身元引受人を務めたTさんへ贈られたものでした。
受け入れたのは、泰阜村開拓団で残留婦人となっていたSさん。
一家は満州で全員死亡したとして親戚が財産処分をしていたため
「帰って来ては困る」と身元引受人を拒みました。
そこで、帰国者支援に奔走していた中島多鶴さんが、
知人で会社経営者であるTさんに頼んだのだそうです。
Tさんは軽く引き受けたのですが、
帰国1ヶ月前になって役場から、住居を用意しておくようにとの連絡。
さあ困った、とTさんは使っていない事務所にお風呂とトイレを増設するなどリフォームして
Sさんと息子さん一家5人を迎えました。
息子さんを会社で雇って仕事を教え、
そのお嫁さんは中国の人で日本に馴染めず泣いてばかり、
小学校に通い始めた孫娘は2ヶ月で日本語を覚えた・・・などなど。
当時の帰国者と引受人になった人々双方のご苦労が偲ばれました。
一家は6年ほど経って自立され、Sさんは3年前に亡くなりました。
「よく美味しい餃子を作ってくれた」という奥さん。
「息子からはその後何の音沙汰もない」と苦笑いのTさん。
そんな話をお聞きしながら、
血まなこになって帰国者支援に尽くした多鶴さんの姿や、
祖国日本への望郷の念を募らせ、涙ながらに書いた残留婦人の手紙が浮かびました。
そして、Tさんのような方々がいたことも
歴史の一つとして刻んでおかなければと思いました。
by kinen330
| 2017-10-26 19:40