報国農場

食糧増産のため4月から10月までの約7ヶ月間、満州へ派遣された「報国農場隊」。
農業“移民”とは別組織で、主に農業学校や青年学校在学中の若い男女で構成されていました。
昭和20年には満州全土に58ヵ所作られ、4,500人あまりが渡満。
そして、ソ連侵攻に巻き込まれました。

その内の一人、Tさんが弟さんたちと来館されました。
「父親が徴兵検査を何度受けても不合格で」
7人きょうだいの長男Tさんは「父親の分まで」と志願しました。
15歳になったばかりでした。

朝5時に起こされて軍事訓練、朝食を食べたら農作業。
軍人勅諭も暗記させられ、厳しい生活でした。
食糧不足で「大豆や小豆に数えるほどのお米が入ったもの」が食事でした。
腹が減って腹が減って、消灯後に「おい、行くか」と仲間と一緒にショートル(泥棒)。
近くの「満人」の畑へ盗みに行きました。

ソ連侵攻は突然のことでした。
逃避行では密林をさまよい、弱った仲間は置いていきました。
なんとかハルビンから新京まで南下した一団も収容所生活で亡くなっていきます。
全滅寸前、新京で商売をしていた日本人O氏が助けてくれました。
病人を病院へ。食糧や薬も工面してくれて、数人は自宅へ引き取ってくれました。

結局、90人の仲間のうち56人が満州の地で亡くなりました。

生きて帰って来たTさん。昭和23人に末弟が生まれ、命の恩人であるO氏の名前をつけました。
記念館にはその弟さんがTさんを連れてきてくれました。
歳の離れた兄の満州体験と自分の名前の由来を、隣で穏やかに聴いておられました。






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by kinen330 | 2018-09-16 13:40

満蒙開拓平和記念館の非公式ブログ。記念館にまつわるよもやま話を綴ります。


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