拓子さん
2020年 07月 05日
「開拓の拓子です」
今日、元開拓団関係者ご一行さまが来館されました。
拓子さんは昭和15年生まれ。終戦の時は5歳になる少し前でした。
母親は3人の子どもを連れて逃避行をしました。
一番下は背負われ、お兄さんと拓子さんは歩かされました。
「泣くな。泣くな。泣くと腹が減る。」
「捨てていくぞ。満人にくれてやるぞ。」
恐怖の中で必死に歩きました。
引き揚げてから、戦後開拓に入りました。
苦労を共にした開拓団の人たちが、よく家に集まってはお酒を吞み、
「あの頃はよかった」と話すのを耳にする度に、
「侵略者のくせに」と反発を覚えていました。
でも今になって、親世代の苦労が偲ばれ、
あんなにきつい母親だったからこそ、たくましく生きてくることができ、
今の自分がいるのだと思えるようになりました。
そして、もっと話しを聞いておけばよかったと思っています。
今日、元開拓団関係者ご一行さまが来館されました。
拓子さんは昭和15年生まれ。終戦の時は5歳になる少し前でした。
母親は3人の子どもを連れて逃避行をしました。
一番下は背負われ、お兄さんと拓子さんは歩かされました。
「泣くな。泣くな。泣くと腹が減る。」
「捨てていくぞ。満人にくれてやるぞ。」
恐怖の中で必死に歩きました。
引き揚げてから、戦後開拓に入りました。
苦労を共にした開拓団の人たちが、よく家に集まってはお酒を吞み、
「あの頃はよかった」と話すのを耳にする度に、
「侵略者のくせに」と反発を覚えていました。
でも今になって、親世代の苦労が偲ばれ、
あんなにきつい母親だったからこそ、たくましく生きてくることができ、
今の自分がいるのだと思えるようになりました。
そして、もっと話しを聞いておけばよかったと思っています。
by kinen330
| 2020-07-05 19:34