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収容所の友

「中村はどうしたかなあ。」

チチハルの収容所で一緒に遊んだ「長野県 中村博」くんを尋ねて
福島県から86歳のWさんが来てくれました。

Wさんは終戦後、チチハルの宮前小学校の1階で避難民生活を送っていました。
当時、小学5年生。
2階に、秋田県の義勇軍と一緒に逃避行をしてきた同い年の少年がいました。
家族はみんな殺され、独りになってしまった少年でした。

左胸のところに「長野県 中村博」と縫い付けられていました。
毎日一緒にいたので、間違いありません。
しかし、長野県の開拓団名簿にはその名前はありませんでした。
もしかしたら、開拓団ではなかったのかもしれません。
「そうか。ねえか。」
残念そうに、呆然と椅子に座っているWさんの隣にいき、お話を聞いてみました。

「中村くんのご家族はどういう状況で殺されたのでしょうか。」
「知らねんだ。話聞くと涙ぐむんだ。」
彼の家族は現地の人たちからの襲撃を受け「かまで殺されたらしい」とのことでした。
独りになった少年は、義勇軍のお兄さんたちにチチハルまで連れてきてもらったのでした。

「毎日、何をして遊んでいたのですか。」
「自由に外に出られねんだけどな。缶詰かっぱらったりしてたな。ハハハハハ。」
義勇軍のお兄さんたちは、昼間は火力発電所に使役に出されていて、
同い年の二人はいつも一緒に遊んだのだそうです。

そうして話を聞いているうちに、まわりにちょうど来館していた若者たちが集まってきました。
即席語り部講話です。

Wさんたちは1946年9月にチチハルを出発。
中村くんはどこかの家族の一員として引揚げたのだそうです。

戦後、少年Wさんには中村くんを捜す手段も何も分からず、
でもずっとずっと気になっていて、
中村くんの出身地である長野県のこの記念館に来てくれたのでした。

若者たちからいろいろ質問を受け、たくさんお話をしてくれたWさん。
「あ~、俺の気は済んだ」と背伸びをし、立ち上がり、
お子さんやお孫さんたちと帰っていかれました。



by kinen330 | 2020-11-22 20:14

満蒙開拓平和記念館の非公式ブログ。記念館にまつわるよもやま話を綴ります。


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