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先生の涙

まるで矢面に立つように、その人はメディアやイベントに出て語りました。
教え子たちを青少年義勇軍として満州へ送り出したことを。
戦後はあまり語らなかった教師たちへの厳しい責めを背負うように。

大正9年、1920年生まれ。M先生の訃報を知らせる葉書が娘さんから届きました。

お話しを聴きにご自宅へうかがったのは、記念館開館前の2013年2月。
立春が過ぎたちょうどこの頃でした。
満蒙開拓という歴史を伝えるために、どうしても今、“送り出した側”の声も聴いて残しておかなければならないと思い、証言映像撮影のお願いの手紙をしたためました。
当時すでに92歳。
晩年を静かに暮らしているM先生に、カメラを向けたのでした。

師範学校を卒業し、初任地4年目で国民学校高等科の担任をした昭和18年3月、
教え子4人を青少年義勇軍として送り出しました。
「国策でしょう? 割当てが達成できてこれで威張れると一番喜んだのは村長、校長。」
当時、各市町村・学校へ義勇軍の割当てが課せられていました。
M先生は学生時代に自由教育の薫陶を受けましたが、
昭和17年の夏休み、内原訓練所での研修で加藤完治に影響を受け、
その後は義勇軍推進の教育を実践しました。
しかし、4人のうちのK君が、終戦後にハルビンで病気で亡くなったのです。

「そういう時代だったから仕方ないって、あきらめろったってねえ、
 殺した側になるとあきらめきれねえだ。」
そう言って体を震わせながら泣き出してしまったM先生。
繰り返し、繰り返し、自分を責め続けたであろう年月の重み。
終わっていない「満蒙開拓」。
かける言葉もなく、その心の痛みを和らげる術もなく。

戦後、自責の念にかられながらも、子どもたちのために命をささげようと教職に復帰。
この体験を語り始めたのは80代になってからでした。
そんな父親の背中を見つめ、長い老後に寄り添った娘K子さんのKの漢字は
教え子K君からとったものでした。




by kinen330 | 2021-02-06 13:22

満蒙開拓平和記念館の非公式ブログ。記念館にまつわるよもやま話を綴ります。


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