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兄としての責任

「どんなことをしても日本に帰りたかった。」

父親は召集され、収容所で母親や妹たちを亡くしたTさん。
弟2人も中国人に預けられ、ひとりぼっちになりました。
まだ10歳の少年Tさんは、農家で働かせてもらいながら生きのびました。
日本語を話すことは許されず、
日本人であることさえ隠して生きていました。
でも、「どんなことをしても日本に帰りたかった。」
少年の思いは揺るぎませんでした。

1953年に日本人が帰国できるとの通達がありました。
Tさんは上の弟の養父母の家へ、一緒に連れて帰る許可をもらいに行きました。
すぐには納得してくれず、何度も何度も通ったそうです。

ただ、無事に帰国できるかどうか分かりません。
帰国できても帰る家も土地も、何のあてもありません。
18歳になっていたTさんですが、「俺の力では養えない」と、
下の弟は置いていく意思を固め、あいさつに行きました。
養父母たちは餃子をご馳走してくれて、送り出してくれたそうです。

日本へ帰ると、父親が生きて先に帰ってきており、新しい家族を築いていました。
Tさんは消息不明だったため戸籍を消されていました。
日本語は忘れてしまっており
「満人がきた」と言われることもありました。

どんなことをしても帰りたかった祖国、日本。

Tさんは今年86歳。背筋が伸びて若々しく、しっかりとした口調でお話しされます。
下の弟さんは一家で20年ほど前に日本へ永住帰国され、
Tさんの息子さんたちが日本語を教えたのだそうです。
ひとり10歳で中国に残され、それでも兄としての責任を果たしてきたTさん。
誇らしいお兄さんです。





by kinen330 | 2021-06-26 20:03

満蒙開拓平和記念館の非公式ブログ。記念館にまつわるよもやま話を綴ります。


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