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K家の食卓

昨日の語り部定期講演は、初の試み「親子で語る満州移民」と題し
体験者の母Eさんと、記念館のボランティアでもある息子Aさん、お二人のお話でした。
毎晩のように食卓で満州の話になるというK家。
「今日は我が家へ遊びに来たつもりで話に参加してください」と始まりました。

と言っても、息子のAさんが満州に関心を持ち始めたのは最近になってのこと。
母親の人生の背景にあった満蒙開拓とは何だったのか。
記念館へ来て勉強したり、母親一家の渡満の背景などを調べ始めました。

Aさんが質問をなげかけ、Eさんが話をする。
ときどき、会場からも質問が出る。
Eさんが話すと、「いやいや、質問の答えになってないよ」とAさんがツッコみ笑いがおこる。
とても和やかな雰囲気で進みました。

講演前半。Eさんは6歳の時に満州へ渡ることになりました。なぜか。
「行く前の年とその前の年、2年続けて洪水がおきて畑に水が浸かったの。そこへ満蒙開拓っていう話が出てきた」とEさん。貧しい生活に追い打ちをかけられました。
実は昭和のはじめ、都会の企業が村の山を買って約10年間森林伐採事業が進められたことをAさんが村史で調べて突き止めます。
「つまり、山が荒らされた。自然破壊が我が家を満州へ送り出したわけです。」
山村をめぐる開発事業と移民政策。国策の構造が見えてきます。

講演の終盤。終戦後、集団で避難生活を送っていたEさんの開拓団もソ連軍から「女を出せ」と強要されます。
困ったところへ、隣の開拓団から逃れてきていた女性2人が自ら申し出てくれました。
「2人は犠牲になってくれた。生贄やね。でもそのお陰で、その後は安心して生活できたの。」
ところが、しばらくして帰ってきたその2人に対し、「あの人たちはいいことしに行ってきたんだ」という人がいた。
子どもだったEさんには意味は分かりませんでしたが、その言葉を覚えていました。
性暴力被害者がさらされる二次被害は、被害者の口を閉ざし、暴力自体を見えなくすることがあります。
Aさんは母親の話から、今につながる問題を捉え、この日の講演であえて取り上げました。

体験者の語りと、それを補い深める質問者の存在。
私たち次世代の役割の神髄を示してくださったような講演でした。
それも、K家の食卓で、夜な夜なよみがえり語られる満州の記憶との対話があってこそ。
その空間に招かれたようなひと時でした。






by kinen330 | 2021-07-11 11:28

満蒙開拓平和記念館の非公式ブログ。記念館にまつわるよもやま話を綴ります。


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