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祖父の生き抜いた時代

「祖父の生き抜いた戦時中のことをもっと知りたいと思うようになりました。」

76年目となった広島原爆の日に、広島県の方からメールをいただきました。
お祖父さまSさんは青少年義勇軍で満州へ行っており、戦闘に巻き込まれ、
銃声で片耳の聴力を失い、足を撃たれながらも日本へ、広島へと帰って来られたそうです。
帰国直後の広島市内の惨状なども、涙を流しながら話してくれていたとのこと。

義勇軍での詳細はご存知なかったようで、『広島県満洲開拓史』から名簿をたどり、
所属中隊などが判明しました。

広島県は長野県に次いで義勇軍を多く送り出しました。
長野県同様、海外移民に積極的な思想があり、また教育界も熱心でした。
 
 昭和16年1月26日、県立Y農学校で県拓務課による拓植訓練講習会開催。
 郡下25校の各学校長、教職員が2泊3日にわたり受講。
 義勇軍の意義を強調し、農村青少年の参加に対する協力を要請した。
                  『広島県満洲開拓史』より要約

この年、広島県からは3つの中隊、総勢800人の少年たちが義勇軍に参加。
Sさんもその一人でした。
昭和16年は満州で対ソ開戦を想定した関東軍特種演習(関特演)が大々的におこなわれ、
渡満したばかりの義勇軍たちも、物資の運搬や陣地構築などに動員されたとあります。
この中隊が3年間の訓練を終えて終戦前年に入植した場所は、
ソ満国境で関東軍の巨大要塞があった虎頭。
ソ連侵攻時の状況は想像を絶します。

片耳の聴力を失い、負傷して帰国されたSさん。
戦後もご苦労されたのではないかと思いました。でも、
「泣き言ひとつ言わずとても逞しく心優しい祖父でした。
 病気で亡くなりましたが、祖母と手を取り合いながら長生きしました。
 祖父は僕の憧れです。」

お祖父さまが生き抜いてきたあの時代とは、満州国とは、義勇軍とは何だったのか。
一緒に向き合っていきましょう。


by kinen330 | 2021-08-08 13:47

満蒙開拓平和記念館の非公式ブログ。記念館にまつわるよもやま話を綴ります。


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