国交正常化
2022年 10月 24日
半年ぶりに来ていただいた語り部Kさん。
12歳で終戦を迎え、両親を亡くし、中国養父母に育てられました。
文化大革命の真っ只中、日本との国交が回復するという噂が聞こえてきました。
1971年、名古屋で開催された世界卓球選手権に中国が参加。
いわゆる「ピンポン外交」のきっかけとなったその新聞記事を目にします。
1972年、日中国交正常化。
「日本に帰りたかったけど、帰れるとは思っていなかった。」
あきらめていた帰国。
情報が閉ざされた中国農村部で生活していた残留邦人にとって
そのニュースはどれほどの衝撃だったでしょう。
国交正常化から50年という節目をKさんはどのように受けとめているのか。
さぞ、感慨深いだろうとたずねてみると、
「もうちょっと早ければね。」
そのニュースが届き、すぐに手続きをしたKさん。
身元引受人をお願いするのに何度も何度も手紙を書き、ようやく1974年に帰国。41歳でした。
その後、忘れていた日本語を取り戻しながら、中国人の妻と7人のこどもたちを
必死に育ててきました。
同世代の人たちは中学、高校と進学し、高度経済成長の恩恵を少なからず享受し、
当たり前のように日本での暮らしを営んでいました。
バスに乗ってもアナウンスが分からず、病院にかかるにも言葉が通じず、
ホームシックにかかる妻や学校になじめない子どもたちの不安や不満を一身に背負い、
がむしゃらに生きてきたKさん。
もう少し、早く帰国できていれば・・・。
50年の感慨、などではない。
遅かった。
遅かったのです。
by kinen330
| 2022-10-24 20:41