愛すべき伝説の男
2024年 06月 30日
「戦争したらいけんよ!」
伝説の男、と呼ばせていただく。
広島の末広一郎さんの突然の訃報が届いたのは5月末だった。
御年98歳。
広島から青少年義勇軍で渡満し、4年間のシベリア抑留を経て引揚げてきた。
記念館にも何度仲間を引き連れて来てくださっただろう。
(開館式には招待もしていないのに、お仲間10人くらいで参上。ちゃっかり席を分捕っていた。)
今年の4月にも一人で東京へ行き、聖蹟桜ヶ丘にある拓魂公苑で慰霊行事に参加。
「拓魂」と刻まれた文字の上に「鎮魂」と書いた紙を貼り付けたという。
その足で茨城県水戸市の内原まで行っている。
その名は中国まで轟く。
調査旅行に行った時、現地中国人ガイドさんから末広さんの武勇伝を聞かせてもらったのは本当に愉快だった。
寺沢館長のレポート、書いて送った手紙、記念館の会報「山河」も断りなしに末広さん編集の冊子に掲載。(え~‼)
みんなそのパワーに圧倒された。
伝説の男だ。
そんな末広さん、満蒙開拓も義勇軍も痛烈に批判。
満蒙開拓は開拓ではない。現地の人々の犠牲の上にあったと言い切っていた。
老いてもその情熱を最期まで持ち続けた、信念の人だった。
印刷業を営み、全国の開拓団、義勇軍の記念誌出版をいくつも手掛けた。
仲間は全国に広がり、そのつながりを大切にしていた。
記念館にも貴重な資料をたくさん寄贈してくださった。
この週末、末広さんが所属していた義勇隊のお仲間の娘さんたち3人が広島から来てくださった。
晩年の末広さんの講演を手伝うなど直接お付き合いをされていた方たちだ。
「末広さんに導かれてきましたよ~」
「末広さんが空から見ようるよ」
彼女たちも父親を看取り、今になって、しっかり聴いておけばよかったと思っている。
そして、これからこの歴史を伝えるのは、自分たちの番なんだなとぼんやり思っておられるようだ。
「戦争したらいけんよ!」
冒頭の言葉は、お一人のスマホに残っている末広さんの動画だ。
「これが遺言じゃ思う」
末広さんが結んでくれたこのご縁を大切にしたいと思う。
ありがとう! ありがとうございました、末広さん。
あなたの情熱をみんなで分け合って、つなげていきたいと思います。
by kinen330
| 2024-06-30 19:17