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ふたつだけ、悲しいこと

母親と二人きりで故郷の村に帰ってきた。
父親は日本に引き揚げてきてから病院で亡くなった。

貧乏なんか当たり前でなんともなかったけど、
ふたつだけ、悲しいことがあった。

中学の時、学校で映画を観に行くことになった。
隣町まで、行きはみんなとバスに乗った。
帰りは一人だけ、歩いて帰った。
映画を観れただけよかったと自分に言い聞かせた。
でも、みんなはバスに乗って帰って行った。
同じように貧乏だったあの子も・・・。
わたしだけ、歩いて帰った。

工事現場の土方の人が「気をつけて帰りなよ」と声をかけてきた。
男の人の背中かと思ったら、配給でもらった軍服を着た母親だった。
早く、楽にしてあげたいと思った。

ふたつだけ、悲しいこと。

# by kinen330 | 2019-07-05 19:56

そり遊び

現地の子どもたちとも一緒に遊んだという語り部さん。
冬場はどんな遊びをしていたのか尋ねると、

「そり遊び。4,5人が乗れる大きなそりを作ってもらってな」
坂の上から凍った斜面をそりに乗って一緒に滑って降りてくる。
響き渡る子どもたちの歓声。
スリルとスピードがたまらない。

「でも、坂の上にそりを運ぶ役は、中国の子どもたちだったなあ・・・。」

滑っては登り、滑っては登る。
日が暮れるまで、夢中になって、繰り返し、繰り返し。

こんな満州の冬景色、子どもたちの遊びの中にも
民族の序列が垣間見え。
体験者の語りからこぼれ落ちてくる満州国の実相を
拾い集めておこうと思うのです。

# by kinen330 | 2019-06-28 19:29

まだ、涙を流す人がいる

「どうやって責任をとるんだろう」

小学3年生だった少女も、その責任の重さに震えた。
祖父が旗振り役で団長として行った開拓団が
現地で集団自決。

「あの人が旗振り役だった」
「あの先生がすすめたんだ」

送り出した側、推進した人々の戦後。
取り返しのつかない事実。
その責任が、家族におよぼした傷の深さ。

70年以上の歳月が流れても
まだ、涙を流す人がいる。
抱えている人がいる。

# by kinen330 | 2019-06-14 19:46

陰で歌われていた歌

「日本語を覚える必要はない
   あと3年で日本はまけるぞ・・・♪」

今日の語り部定期講演は、12歳で敗戦を迎え、残留孤児となり
1974年に帰国したKさんのお話しでした。

現地の人たちは日本人をおそれて、
Kさんのような開拓団の子どもにまで道を譲ったそうです。
しかし、陰ではこのような歌を歌っていたことを
残留日本人として過ごした戦後になって教わりました。

Kさんは開拓団の学校で、イタリア、ドイツの敗戦を知ります。
それでも、日本がまけるはずはないと信じていました。
8月15日を過ぎ、団長さんが日本の敗戦を伝えても
皆、信じなかったそうです。

 今に見ていろ
 そのうち日本はまける
 それまでの辛抱だ

現実を捉えていたのは、現地の人たちの方でした。




# by kinen330 | 2019-06-08 19:06

千代ちゃんの涙

千代ちゃんは悲しくて悲しくて
水曲柳駅までの1時間半を
ずっと泣き通しでした。

昭和20年5月。
集落の中で一番はじめに父親に召集令状が届きます。
目が悪かった父親は徴兵検査で甲種合格になりませんでした。
それも、満州行きの理由だったのだと思います。
「これで俺もやっと男になれる」
父親は喜びました。

出征の日。
家族や集落の人たちと水曲柳駅まで見送っていきました。
大人たちは途中のケイロ川の水で別れの「水盃」をしましたが、
千代ちゃんはずっと泣いていました。
「父親はそんな私を見向きもしなかった」と。

駅で見送って。
そのまま行方知れずです。
ソ連国境近くの孫呉に配属されたことまでは突きとめましたが
その後の消息は分からないままです。

戦後10年経って、戦時死亡宣告を受け入れることにしました。
でも、父親は中国語が得意だったから、
大陸のどこかで生きているのではないかと、
いつまでもあきらめられずにいました。
「この歳になっても、まだ、父親が恋しくております。」

85歳の語り部。
千代ちゃんのしょっぱい涙は今も涸れていません。



# by kinen330 | 2019-06-07 19:17

満蒙開拓平和記念館の非公式ブログ。記念館にまつわるよもやま話を綴ります。


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