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願い

「敗戦国 日本の人たちが、こんな平和な国を築き上げてきたんです。
 もう二度と悲惨な戦争を起こさせないことを願います。」

今日は今年最後の開館日でした。
最後の団体さんが最後の「語り部」を聴いて行かれました。

昭和5年生まれのKさん。
集団自決を一人生き残って日本へ引き揚げてきました。

男たちが応召され女・子どもだけになってしまった開拓団の末路は
お互いの首を絞めあう集団自決――。
15歳の少年Kさんは女たちに急かされその「お手伝い」をさせられます。
「この手で、首を絞めたんです」と見つめる両手のその先に
何が映っているのでしょう。

「悔やまれてなりません」

帰ってこられなかった人々の分まで、
平和な日本のままであってほしいと願いながら、
Kさんは語り続けています。
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by kinen330 | 2014-12-26 19:03

美しい無関心層

「あれは“美しい無関心層”を描いたんじゃないでしょうか」

山田洋次監督が映画化した小説『小さいおうち』(中島京子著)は、
昭和初期の東京の新興住宅街の中流家庭を描いたものです。
いつも記念館で「昭和の初め、特に農村地域は貧困の中にありました」と
ガイドをしている私にとって、当時こういう暮らしをしていた人もいたんだ、と
認識を改めさせられるものでした。
お手伝いさんが奥さんとぼっちゃんの世話をし、
たまにデパートにおでかけをしてレストランでおいしいものを食べ・・・。
当時の国際情勢によってだんなさまの仕事に影響もでてきますが、
食うに困るようなことにはならず、
少しずつ戦況が悪化し、生活物資も統制されて不便になっていきますが、
戦争など遠いどこかのことで、
そしてぼっちゃんはいっぱしの軍国少年に育っていきます。

日本が、日本人がどうして戦争に向かっていったのか。
その道筋を記念館でも「満蒙開拓」の歴史を通して学ぼうとしています。
年明けには、当時を知る体験者の証言映像を撮る活動を再開します。
スタッフと人選を練る中で、
開拓団で行かなかった人にも当時の様子を聴きたいね、という話になりました。
戦時中の普通の人々の意識はどうだったのでしょう。
戦争体験談、証言、というとその戦禍に巻き込まれた人の話になります。
実は、それ以外の人々の意識の中に何か重要なものが見つかるのかも、と。

「あれは“美しい無関心層”を描いたんじゃないでしょうか」

20代のスタッフが言った言葉です。なるほどー、でした。

あの『小さいおうち』では、最後の最後になるほどーとうならせるものがあり、
最後まで読んで良かったなと思いました。
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by kinen330 | 2014-12-21 18:33

やり場

その女性は受付に来たときすでに涙目でした。

3歳上のお兄さんが青少年義勇軍で昭和19年に満州へ。
戦後まもなく病院で亡くなったと聞かされました。
よく兄妹げんかをしたお兄さんでした。
父親は、勧めた教師のところにどなりこんで行ったそうです。
「先生も困ったでしょうねえ・・・」
そう言いながら、やり場のない怒りと悲しみがよみがえってきているようでした。

名簿を見ると、お兄さんは収容所で亡くなっていました。
その中隊は、義勇隊の中でも犠牲者の割合が高いのが特徴です。
終戦の年の春、ソ連国境添いの最前線の訓練所に送り込まれます。
湖をはさんだ向こうにはソ連の街並みが見えていたといいます。
昭和20年8月9日未明、ソ連侵攻。
一時撤退の命令で避難した直後、訓練所はソ連軍の砲撃で壊滅。
その後の逃避行やソ連軍による連行、その果てにたどりついた収容所は
コンクリートの壁の小さな窓に鉄格子がはまる刑務所跡でした。
過酷な環境に少年達の心も荒んでいきます。

この隊をモデルにした小説があり、実態が描かれています。
あまりに悲惨な内容なので、その本を紹介するのに躊躇しました。
お兄さんが亡くなったのも病院ではなく収容所、刑務所跡だったのかもしれないのです。

満州に心を残している人たちが、今日も記念館を訪れます。

「立派な記念館をつくっていただいて・・・」
その女性は涙目のまま、杉の柱がそびえる吹き抜けの廊下を見上げていました。
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by kinen330 | 2014-12-11 18:51

カタン コトン

「カタンカタン、 コトンコトン・・・」

Mさんが入った収容所では900人のうち500人が亡くなりました。
零下30度にもなる寒さで、凍った死体はまるで「凍ったマグロ」のような状態で
外に運ばれ積まれていったそうです。
「カタンカタン、コトンコトン というような音がしていました」

耳の奥に残る当時の音。
消えない記憶。

「語り部」の人たちがふりしぼって語る言葉から、
当時の壮絶な状況と、今でも抱えている苦悩が伝わってきます。
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by kinen330 | 2014-12-06 18:33

種をまく

時々、講演の講師としてよばれます。
先日、小学生を相手にお話をしてきました。
地区の会長さんが記念館に来てくださり、子供たちに話してほしいとおっしゃるのです。
満蒙開拓の歴史を小学1年生にどうやって話せばいいのか!?
会長さんの熱意に負けてお受けしたものの、頭をかかえる日々が続きました。

この地区は当時、分村を開拓団に送り出した村でした。
人口の約2割、700人が満州へ行き、その内の7割以上が亡くなりました。
犠牲者の割合がとても高かった開拓団です。
身内を亡くした人々、送り出した側の人々・・・。
地区に残る傷はいかばかりかと、内心重たい気分でもありました。

当日は小学校PTAと公民館の共催事業として、子供たちはもちろん
子供たちの親世代から年配の方々まで幅広い年齢層の皆さんが集まってくださいました。
写真や絵などを駆使して資料を作りました。
子供たちはとてもかわいくて、一番前の正面に座った男の子は
最後まで目をまんまるにしたまま聴いてくれました。
途中でふわ~っとあくびをしたり、そわそわする子も少しいました。無理もありません。
でも、逃避行や入水自殺、悲惨な収容所生活の体験談を読み始めると
一瞬にして空気がかわりました。
集中して聴いてくれているのが伝わってきます。
難しい言葉もたくさん出てくる文章なのですが、ただごとではない場面なんだと分かるのですね。

数日前に校長先生が事前学習としてお話をしてくださっていたこともあり、
子供たちは約1時間の講演を最後までしっかり聴いてくれました。
「理解できたでしょうか?」と校長先生に尋ねたら、
「“種”を持って帰ってくれればいいんですよ」とおっしゃいました。
「その種がいつか何かに結びつく時がくれば」と。
そうか!種まきですね。
校長先生の言葉にとても勇気付けられました。
そして、子供たちの胸の中にひとつこの“種”をまくことができたんだなと嬉しくなりました。

この日、大人の皆さんも満蒙開拓の歴史は今日初めて聴いた、知ったという人が多く、
やはり向き合いにくい歴史だったのだろうと思いました。
当時の大人たちはこのことについてあまり語りたがらなかったのでしょう。

年月の経過によってやっと向き合える歴史。
個人の記憶から地域の歴史へ。
若い世代が担うこれからの地域づくりの一助になればと思います。
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by kinen330 | 2014-12-01 18:49

満蒙開拓平和記念館の非公式ブログ。記念館にまつわるよもやま話を綴ります。


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