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責める

「私が生まれたせいで、兄は満州へ行ったのではないでしょうか。」

滋賀県から電車やタクシーを乗り継ぎ、一人の女性Sさんが来館されました。

お兄さんとは異母兄妹。お兄さんのお母さんは病気で亡くなり、
再婚されたお母さんから生まれたのがSさん。
「居場所がなかったのでは・・・。」

お兄さんは長男でしたが満蒙開拓青少年義勇軍で満州へ渡りました。
一旦帰国してきたのだそうですが、再び満州へ。
そして、終戦後に亡くなりました。
最後を見届けた友人が遺髪を持ち帰ってくれたそうです。

「私のせいで、兄は亡くなったのでは・・・。」

お兄さんはSさんの名前を呼んで可愛がっていたよと、
まわりの人たちは言ってくれるそうですが、
Sさんはずっと自分を責めていたのです。

「ここに来てお話をして少し肩の荷が下りました。」
微笑む顔にはえくぼがあり、かわいい妹さんだっただろうと思いました。

いろいろな「満州」が、人々の心の奥深く突き刺さったまま。
年月の経過も癒すことができない傷が、残ったまま。
by kinen330 | 2015-06-28 19:24

誇り

赤ちゃんを連れた若い夫婦が来館されました。
「あーあー、うーうー」
赤ちゃんのかわいい声が展示コーナーから聞こえてきていました。

「私、中国から帰ってきたんです」

ボランティアガイドさんが声をかけると、このような返事。
若いステキなママ、Aさんは中国残留孤児3世。
おばあちゃんが残留孤児だったのです。

おばあちゃんは終戦の時7歳。
長野県が送りだした一番最後の開拓団で一家9人で満州へ渡っていきました。
ソ連侵攻後の逃避行や収容所生活でお母さんが亡くなり、お父さんはシベリアへ抑留。
兄や姉も亡くなって幼い兄妹たち4人が残ります。
それぞれ中国人の家にもらわれて行き、2人の妹たちが残留孤児となりました。

Aさんがおばあちゃんと一緒に一家で日本に帰ってきたのは平成になってから。
3歳の時だったそうです。
日本語はすぐに覚え、学校生活は不自由なく過ごせたことでしょう。
でも「中国から帰ってきたことは絶対言わなかった・・・」
隠し通したそうです。知られたくなかった・・・。
両親は中国語しか話せませんでした。

記念館の展示で開拓団が辿った壮絶な歴史を知りました。
何百ページもある開拓団の名簿にはおばあちゃんの名前も載っていました。
「すごい・・・」
隣にいたパパさんは赤ちゃんに言いました。
「お前のルーツだぞ。生まれてきて良かったなぁ。」

命がつながっているのですね。

そして「プライドを持てた」と言い、笑顔で帰っていかれました。

そうです!
おばあちゃんの人生に、自分の家族に、誇りを持って生きてください。
幾多の困難を乗り越えてきたのですから。
by kinen330 | 2015-06-21 18:41

背景にあるもの

「 ― 満州で地獄を見てきた。
このセリフの背景にあるものを勉強しに来ました。」

静岡県の劇団の皆さんが来館されました。
20代の若者たちを含む年代バラバラの10名様。
今秋、『すみれさんが行く』というお芝居を上演予定。
病棟で繰り広げられる若者とお年寄りの心の交流を描いたものだそうです。

おばあちゃんのすみれさんが言うひとこと、
「満州で地獄を見てきた」

これだけ!?
すみれさん、満州のことはこれしか言わないのだそうです。
このセリフにこだわり、わざわざ記念館に来てくださいました。

何を見てきたのですか、すみれさん。
展示ガイドをしながら、私も想像してみました。
つい普段はあまり言わないエピソードまで口から出ていました。
満州での地獄。女たちの地獄。
読んできた本も、聴いてきた話も・・・地獄だ。
戦後日本には、すみれさんがたくさんいたのでしょう。
すみれさんたちはやはり多くを語らず、語れず、生きてこられたのでしょう。

戦後70年。戦争を知らない世代がすみれさんを演じます。
歴史を学び、あの時代に生きた人々に思いを馳せながら。
by kinen330 | 2015-06-14 16:07

小隊長さん

「みんな寂しかったんだね」

満蒙開拓青少年義勇軍の小隊長をしていたというおじいちゃまKさんが来館されました。
小隊長とは少年たちの中から選ばれた班長さんのような存在。
リーダーである大人の中隊長から指名されます。

14、15歳の血気盛んな少年たちです。
ねたみ、ひがみ、八つ当たり・・・。
夜になると殴る蹴るのいじめが始まりました。
歯をくいしばって耐えるK少年。朝には殴られて口が開かなかった時もあったそうです。
でも、中隊長には決して言いつけませんでした。

「みんな寂しかったんだね」

親元を離れ、厳しい訓練に耐えなければならなかった義勇軍。
その辛さのはけ口としてのいじめはどこの隊でもあったことでしょう。
小隊長とはいえ、K少年だって同い年の少年だったのです。

そのうち、みんなの信頼を得ていく中でいじめはなくなり、いじめをけしかけていたグループの方が孤立していったといいます。

85歳の今でも飄々とし、まじめな顔で冗談を言うKさん。
芯の強さとやさしさを持って生きてこられたのだろうなと、おしゃべりをしながら胸が熱くなりました。
by kinen330 | 2015-06-05 18:57

満蒙開拓平和記念館の非公式ブログ。記念館にまつわるよもやま話を綴ります。


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