<   2015年 09月 ( 5 )   > この月の画像一覧

犬死に

元義勇軍で既に亡くなられた方の文章に出会いました。1980年に書かれたものです。
満州で多くの仲間の死にざまを実際に見てきた人です。

「(前略)
 かれらの死は犬死にだったのです。真の意味で、お国のために死んで行ったのではないのです。見にくい、どん欲な資本の手先として利用され、キラキラと輝く宝石のように純粋無くな幼い義勇隊員の多くの青年が、犬死にさせられたのです。
 その犬死にさせた者を心から憎まねばならないのに、①義勇隊を“顕彰”することによって、②義勇隊の歩んだ道を美化し、③犬死にでなかったことにし、そうすることによって、あのいたいけな青少年を死地にやったその者どもが、①自分たちがやったことまで美化し、②お国のためだ、とし、③やむを得なかった、ことにしようとする。その責任回避の不潔な姿勢、悪だくみが、私にはとても許せないのです。(後略)」

“尊い犠牲” ではなく “犬死に” だったと。

間違ってはいけないのです。
by kinen330 | 2015-09-26 18:52

やりがい

「心が通ったような気がした」

今日、中部地方の団体さんが語り部Nさんのお話しを聴いてくださいました。
某企業に勤める現役世代の皆さんです。
なんと3時間近くもNさんを拘束!
語りが終わったあとで、感想や意見がたくさん出たそうです。

「平和研修 -満蒙開拓団とはなんだったのか」と表記されたレジュメには、満蒙開拓の歴史や関連の新聞記事などが13ページにも渡って綴られ、熱心さが感じられました。
Nさんに付き添ったボランティアのKさんは長年中国帰国者支援活動にたずさわった人物ですが、そのKさんも感心されていました。

若い世代と思いを交わしたひととき。
Nさんは疲れも見せず
「心が通ったような気がした。話して良かった。」といい笑顔で報告してくださいました。

語り部の皆さん、ご高齢で病気を抱えている人もいます。
毎回つらい体験を思い出させることになります。
聴く人の態度、姿勢はさまざまです。
それでも「語り部」をしてくださるのは、使命感と平和への願いからに他なりません。
Nさんにやりがいと希望をもたらしてくださった皆さんに感謝申し上げます。
by kinen330 | 2015-09-24 19:18

最後の列車

「これが最後の避難列車だ」

寝耳に水のソ連侵攻に国境近くの人々はどれほど慌てたでしょう。
「満州国」最北地。関東軍の要塞があった軍都「孫呉」には義勇隊の訓練所もありました。
終戦の年にここにいたというHさんが息子さんと来館されました。

Hさんは対ソ作戦の後方支援要員として動員されていました。
ソ連侵攻の報を受け避難列車が出るとのこと。
日本の民間人が取るものもとりあえずその列車に乗り込みました。
列車が出発した後、ソ連軍の進入を阻止するため日本軍が線路を撤去したのだそうです。
本当の“最後の列車”でした。
「結局ソ連は列車なんて使わず戦車で入ってきたんだけどね」
Hさん達は戦闘をせず武装解除。その後シベリアへ連行されました。

“最後の列車”に乗れたのは、その報を聞くことができた都市部の人々でした。
農村部にいて電話などもなかった開拓団の人々は戦争になったことすら知らず、避難命令が出た時には徒歩での逃避行を余儀なくされます。
これが満州各地の実状だったのでしょう。

あの列車に乗れていれば。
いえ、戦況がもっと早く人々に知らされていれば。
by kinen330 | 2015-09-22 18:12

思いを致す

父親が戦時中、関東軍の中佐で奉天、ジャムス、牡丹江に駐軍していたという男性からメールをいただきました。
「満蒙開拓団の歴史を知れば知るほど大変な苦労だったと想像に難くありませんし、父の次の代として、開拓団として渡られ、命を落とされた皆さんの少しでも供養をしたいと思っています。」

「開拓団とは全く無縁だが、残留孤児の人たちとは同じ世代であり運命が違っていたら自分もそうなっていたかもしれない」と言って記念館の展示を熱心に見学し、寄付をしていってくださる方もいます。

過去の出来事と流してしまう方が簡単です。
自分に責任はありません。
でも歴史を自分のこととして捉え、辛苦の体験をされた人々に思いを寄せ、自分ができることをしようとする人たちがいます。

記念館はそのような人たちに支えられているのだと思います。
by kinen330 | 2015-09-12 19:20

父の戦争

「ちゃんと話しを聴いてあげれば良かった」

帰り際に窓口で話しをしてくださった女性Hさん。
父親が青少年義勇軍で渡満し、その後召集され、
なんとか無事に帰ってきました。
耕地の狭い母村では農業で生計を立てるのが難しく、県外へ移転しました。
Hさんは戦後生まれ。
母親は早くに亡くなりました。

Hさんは学生時代、ベトナム戦争の反戦運動に参加しました。
日本が戦争特需で恩恵を受けることは
戦争に加担しているとして矛盾を感じていた若者たち。
Hさんは無党派の市民参加レベルの反戦運動でしたが、
そんな活動をお父さんは感情あらわに反対したそうです。

父と娘はその頃からだんだん疎遠になっていきました。

「でも、当時のことは全然しゃべらなかったの。
 満州でこんなに大変なことがあったなんて、今日ここで初めて知った。
 だって、言わなきゃ分からないじゃない。」
そう言いながらも
「もしかしたら、戦地で人を殺すようなことがあったのでは・・・。」
口にできない壮絶な体験があったのではないかと、思いを馳せます。
頬を伝う涙。取り戻せない時間。

すべてを心の中に閉じ込めたまま戦後を生き、
語らずして逝ってしまった人々。
「ちゃんと話しを聴いてあげれば良かった」
戦後70年。同じような思いを抱いている人たちが大勢いらっしゃいます。
by kinen330 | 2015-09-02 19:25

満蒙開拓平和記念館の非公式ブログ。記念館にまつわるよもやま話を綴ります。


by kinen330
プロフィールを見る
画像一覧
更新通知を受け取る