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穴倉生活

「恥ずかしくって話しなんかできなかったですよ」

86歳の元開拓団Kさん。
先日、初めて地元で「語り部」講演をされました。
地元で一般の人を相手に話すことは今までありませんでした。

「穴倉生活したんですから」

Kさんの開拓団は約3週間の逃避行の末、ソ連軍につかまり武装解除。
その後、地獄の収容所生活が始まります。
マイナス30度になる満州。
Kさんたちは土が凍結しないうちに穴倉を掘って、その中で越冬します。
地上よりはましでした。
穴倉の中でも、布団代わりのうすっぺらいムシロが
朝には真っ白に凍っていました。

こんな話しは、自分から話すことではなかったとおっしゃいます。
話せば余計にみじめになります。
満州へ行ったことまで、すべて。

12月の足音が聞こえてきました。

あの時、人々は「生きるか」「死ぬか」の究極の選択を迫られていました。
酷寒の満州の冬。
穴倉の中、煤だらけの顔に充血した真っ赤な目を凝らし、
K少年は何を見てきたのか。
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by kinen330 | 2015-11-27 19:17

100歳×2 

11/16 月曜日のことですが、
この日、なんと100歳の方が二人も来館されました。

一人は岐阜県から。
とても穏やかでかわいらしいお顔のおじいちゃまでした。
「支那事変に出征した。南京にも行ったが、
その時のことはあんまり言えない」と一瞬困った顔になりました。
戦後は国内開拓に入ります。
今でこそスキー場のある高原のリゾート地になったところですが、
雪深く、湿地で、地力が弱く、畑作には不向きで土壌改良が必要でした。
厳しい自然環境の中、昭和30年代に入ってやっと酪農が軌道に乗り始めます。
戦後、僻地や高冷地に入植した皆さんは同じような状況だったようです。
それでも力強く開拓魂で生きてこられたからでしょう、
100歳とは思えない足の運び!
徒歩5分といっても結構急な坂道の長岳寺まで
すたすたと歩いて往復されました。

もう一人は県内の方でした。
92歳の弟さんが青少年義勇軍だったということで
ご一緒に、親族5人で来館されました。
肌つやも良く、補聴器をされていましたが普通に会話をされ、
杖もなく歩く姿はすっと背筋が伸びておられました。
展示を見終わったあと、
「みんな国にだまされたんだなあ」とおっしゃっていました。

100歳の方に会う機会はなかなかありません。
少々疲れ気味だった私も、お二人にお会いして
すっかり元気になりました。

100歳の方が訪れてくださる場所、
記念館ってすごい。
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by kinen330 | 2015-11-18 18:45

ぬぐえない記憶

「とんでもないことをしてしまった」

血相を変えたような表情で入ってきて受付でいきなりこう切り出すおじいさん。
職員の私たちは一瞬ひるんでしまいました。

このTさん。長野県が募集した開拓団で満州に渡ります。
一家9人。終戦の時は11歳でした。

「逃避行の途中で知り合いの女の子を置いてきちゃった」

命からがらの逃避行の最中、同じ開拓団のおばさんがいなくなってしまい
幼い娘さんが残されてしまいました。
先へ先へと進む集団に取り残されることは死を意味していました。

Tさんも家族みんな満州で亡くし、たった一人で引き揚げてきました。
戦後は叔父さん一家にひきとられ、炭焼きを手伝います。
結局、国民学校中退で学校は終わってしまいました。
それでも手に職をつけながら生き抜き、家族を持ち、
満州で亡くなった家族のお墓も建てました。

80歳を過ぎた今、どうしても気になる、満州で置いてきてしまった女の子。
「親がやったことだから仕方ない、まだ子供だったから責任はないと言いたいがそうもいかない」
その思いを抱えて記念館に来られました。
戦後70年。ぬぐえない記憶。
こうして自分を責めながら生きておられる方がいます。

「戦争だけはしてほしくないなぁという気持ちはありますね」
しみじみとおっしゃっていました。
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by kinen330 | 2015-11-08 14:07

満蒙開拓平和記念館の非公式ブログ。記念館にまつわるよもやま話を綴ります。


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