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社会構造

「国は貧しい人たちがいたほうが都合がいいんですよ。」

東京在住の地方自治、まちづくりなどの研究者であるKさんが来館されました。
展示をご案内しながら話しは広がり、そして核心に入っていきます。

戦争で犠牲になるのは貧困層であるという社会構造はよく指摘されています。
すべてではありませんが、満蒙開拓という国策もしかり。

貧しい人たち。
貧しい地域。

「国は貧しい人たちがいたほうが都合がいいんですよ。
 ・・・だから許してはいけないんだ。」

Kさんは噛みしめるように言いました。
その深い意味を考えると、背筋が寒くなります。
許してはいけないものとは。
わたしたちは今、どんな社会を築いていこうとしているのでしょうか。
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by kinen330 | 2015-12-18 18:26

ゆるぎないもの

記念館と飯田日中友好協会の共催で「中国養父母を知るシンポジウム」を開催しました。
中国養父母とは、終戦後、旧満州へ残された日本人孤児たちを育てた中国のお父さん、お母さんのこと。
残留孤児の苦労は様々な形で伝えられていますが、一方で、孤児たちを我が子のように慈しみ育てた中国の人々がいたことは、あまり知られていません。

シンポジウムには中国ハルビンから養母の李淑蘭さんが来て下さり、会場のみなさんと一緒にお話しをうかがいました。
88才の李さん。美しい白髪に耳にはピアス。背筋もピンと伸びて品のある方です。

1945年10月、5才の日本人の女の子をひきとることになりました。今にも死にそうな状態で、母親が預けに来たそうです。日本人の子どもを引き取るということに抵抗はありませんでした。このままではこの子は死んでしまう。だから引き取る。当然のことだと。

中国の人々にとって日本は敵国です。その後も日本人の子どもを育てていることで周りから非難を浴びたそうですが、自分の信念を曲げられることはありませんでした。
1972年に日本との国交が正常化し、娘さんは日本の家族が見つかって1981年に日本へ帰って行きました。
「娘のことを思うと嬉しかった。」本当の親が見つかったことは娘さんにとっては何より幸せなこと。
それを喜ぶことができるのは真の親の愛情だと思います。
もちろん、「母子の絆が深まっていたので離れることはつらかった。」複雑な思いだったとも。

李さんにとって、目の前に差し出された瀕死の子どもを助けることは当然のことでした。国籍も民族も関係ありません。「見ていられなかった」と。そして、激動の中国社会の中で守り育て、祖国日本へ返したのです。その後も遠く離れた娘のことを案じながら生きてこられました。

どんな時代であろうとも、世間がどう言おうとも、揺るぎない信念を持って生きてきた人。
李さんの強さと優しさ、そして母親としての愛情に心を打たれました。

今の私達にできることは何でしょうか。
人々の話に耳を傾け、学び続けること、問い続けること。
その意義を多くの人たちと分かち合うこと。
信念を持って生きる力と勇気を手に入れるために。
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by kinen330 | 2015-12-14 18:49

多面的な視点

今日最後の団体さんは旅行会社が企画したツアー15名さまでした。

ガイドを終えると一人の男性が
「残留孤児を育てた中国の養父母に対して、日本はもっと感謝を伝えるべきだと思いますねぇ。」
すると一人の女性が
「残留孤児を引き取ったのは労働力として使う目的だったと聞いています。皆さんとても苦労されたって。」

どちらのご意見もそうだと思います。

中国に残留した日本の人々には様々な生活がありました。
こき使われた。ろくな食事も衣服も与えてもらえず学校にも行けなかった。
そのうち感情をなくしたという人もいます。
一方で、引き取った日本の子供を我が子のように慈しみ育てた養父母もいました。
貧しいながらも温かい家庭で過ごした人もいました。
どちらもあったのです。どちらもあったということを知ることから始めましょう。

どんな歴史でも、伝えられていることはほんの一部であり、表面的なことなのかもしれません。
自分が直接聞いたことも、一面だけかもしれません。
それぞれの面にそれぞれ学ぶことがあるのだと思います。
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by kinen330 | 2015-12-04 19:08

満蒙開拓平和記念館の非公式ブログ。記念館にまつわるよもやま話を綴ります。


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