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『家の光』

宣伝するわけではありませんが。
『家の光』という雑誌はJAグループの出版物で、
創刊はなんと大正14年だそうです。

終戦後も、旧満州に残らざるを得なかった人々がいました。
その一人、Yさん。
厳寒の収容所生活で、母親や弟たちを助けるために中国人の嫁になりました。
ひと足早く帰国した弟に日本の読み物を送ってもらいました。
それが『家の光』でした。

日本語を忘れたくない一心で、時間があればそれを出してきて読みました。
一日の仕事が終わった夜に。
冬場の農閑期に。
何度も何度も繰り返し。
黄色くあせるまで。

「希望はあったけど、帰れるとは思っていなかった」祖国日本に
昭和60年に帰ってきました。

傘寿のお祝いに撮ったという写真には子供、孫、ひ孫まで合わせて
総勢50人以上の大家族がYさんを中心に3列に並んでいて、壮観!
「今が一番幸せ」というYさんです。


Yさんを含め、満蒙開拓関係者のお話しをまとめた証言映像の第2弾が完成しました。
4月から館内で上映します。
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by kinen330 | 2016-03-28 18:05

へだたり

「誰に対しても“へだたり”をつくらない誠実な方であると一層確信しました。」

昨日、「わかち合う歌集『伊那の谷びと』の経験」というイベントを開催しました。
『伊那の谷びと』という歌集は、この地域の日中友好協会で長年活動されてきたKさんが昨年上梓されたものです。
Kさんの短歌には、満蒙開拓の歴史や中国帰国者の皆さんのことを詠んだ作品がたくさんあります。
2005年に発足した「満蒙開拓語り部の会」はKさんが中心となって運営され、記念館事業につながっています。「語り部」さんたちとの人間関係が築かれなければできなかったものだと思います。

昨日のイベントは、Kさんの短歌を紐解き、地域の歴史を分かち合おうというものでした。
短歌仲間のほか、歌に詠まれたご本人たちの参加もありました。

「誰に対しても“へだたり”をつくらない誠実な方であると一層確信しました。」
元開拓団で残留婦人を姉に持つBさんの感想に、このことばが書かれてありました。

“へだたり”
この“へだたり”が、元開拓団の人たちや帰国者の人々を傷つけてきたのだと思いました。

帰国者のみなさんから慕われているKさん。
困った時には相談にのり、難しい話も解決に向けて奔走します。
時には声を荒げ、役場にだってどなりこんでいく。情の深いKさんです。

  県住の空向く大きパラボラは 遠き祖国の養父母偲ぶ

帰国者の皆さんの生活にも、中国の養父母にも心を寄せる一首です。
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by kinen330 | 2016-03-20 18:24

4年1組さんからの質問

茨城県のN小学校4年1組さんからお手紙が届きました。
社会科で県内の芝畑について学習している。その中で昔は陸軍の飛行場だったところがあり、戦後、長野県A村の人たちが開拓してそこを芝畑にした。さらに調べるとそのA村では戦争中にたくさんの人が満州に渡ったことが分かった、とのこと。
すごいですねー。芝畑の学習から、時空を超えて満州までつながったのです。

そこで質問!
① 満州に渡った人たちはたくさん亡くなられたと知りました。満州へ渡ってよいことがあったのでしょうか。
② なぜ、長野県のA村の人たちが茨城県に来たのですか。

とても丁寧な鉛筆書きのお手紙でした。
背筋が伸びる思いでした。
たくさんのキラキラしたお目々に見つめられているような・・・。

A村は分村移民を送り出した村でした。
戦後、引き揚げてきた人々がふるさとを離れ別の地域に再入植しましたが、茨城県にもある程度まとまって移住されたそうです。
茨城県は平地が多く、戦時中は軍の航空訓練所がいくつかあり、そのような国有地が戦後の緊急開拓事業で払い下げられました。長野県からもたくさんの人が移住されています。

質問②はこんな感じの回答なのですが、①をどのように伝えるか。
小学校4年生かぁ。う~ん。
そして、ものごとを見る時に私が大切にしていることを書きました。
その上で、私が今まで聞いたり読んだりした「よかったこと」のいくつかを例として書き、「よかったこと」の裏側にあったことも書きました。

担任の先生のお手紙には、この学習から戦争や平和について考えることができるのでは、との思いですすめているとありました。
子どもたちをこの歴史に出会わせてくれた先生に尊敬と感謝。
むずかしく、うれしいお手紙でした。
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by kinen330 | 2016-03-07 18:54

満蒙開拓平和記念館の非公式ブログ。記念館にまつわるよもやま話を綴ります。


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