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失望

「言葉なんかないほうが良かった」

今日、地元の女子短大の学生さんを前に語り部をしてくださったSさん。

満蒙開拓を体験して価値観が変わりましたか?何が一番大きく変わりましたか?という質問に答えて話し始めたのは、引き揚げてきた日本での待遇でした。

中国にいたときは戦争に負けたから仕方ないと思っていたが、
日本へ帰ってきてからがひどい目にあったと。
「困りものが帰ってきた」と聞こえよがしに言っていく村の人たち。
日本へ帰ってきたら言葉が通じるからいいと思ったが、
通じるからこそ聞きたくないことも聞こえてくる。

「言葉なんかないほうが良かった」

心の傷として残っているのは、ようやく引き揚げてきた祖国日本でのことなのです。
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by kinen330 | 2016-05-26 18:29

再び語りはじめる

地元の小学校5,6年生が来てくれました。
雨で延期になっていた遠足です。
今日はちょうど元開拓団のKさんが同級生8人で同じ時間に来館予定でした。

Kさんは残留孤児となり昭和49年に帰国されました。
自分より後から帰ってくる大勢の帰国者の支援にも尽力された人です。
マスコミにもよく取り上げられ、いろいろなところで体験談も話されていましたが、近年、語ることをやめていました。
「当時のことを思い出すのが辛いから」とおっしゃっていましたが、それだけではありませんでした。
中には宴席の前段で話すような場もあったのです。
まるで、前座の出し物のような扱いで。

「語り」が消費されていく。

貴重な「語り」の“場”は、当時を思い出すことで語り手本人を傷つける場でもあります。
それでも語ってくれること、その思いを真摯に受けとめなければならないと思います。
各種イベントの主催者、学校、マスコミなどからよく「語り部」さんを紹介してほしいといった依頼がきます。
その中身、姿勢を問います。消費であってはならない。記念館自らも問い続けています。

Kさんは最近になって、また話してもいいかなと思い始めておられました。
今日は急きょお願いしてみました。子どもたちに話してもらえませんか、と。

昭和17年、9歳で渡満。7人きょうだいの長男でした。行くときは旅行に行くような気持ちで大喜びだったそうです。しかし、敗戦後は逃避行や収容所生活で両親と妹3人を亡くします。
震える両手でマイクを握り、時々涙で言葉を詰まらせながら語るKさんの話を、子供たちは静かにしっかりと聴いていました。

Kさんは「またいつでも話に来るよ」と言って、同級生と一緒に帰って行かれました。
また話していただける場を作りたいと思います。
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by kinen330 | 2016-05-13 19:11

渡らなかった物

広島から80歳になる男性が奥様と来館されました。
父親が村長に頼まれて開拓団の学校の先生として渡満。
親戚が反対し、家族の渡満は様子をみてからということになっており、単独で行ったそうです。

『広島県満州開拓史』に名前を見つけました。団長ほか幹部の名前の一番最後に載っていました。

父親は出発する前、満州へ送る大きな荷物を用意していました。
中には学校で使う学用品や剣道の竹刀なども入っていました。
しかし、これらの荷物は結局残された家族とともに満州へは渡りませんでした。

戦後、その荷物の中に青酸カリのびんを見つけます。
500グラム。2000人分の致死量だそうです。
これが、学校の備品だったのか、違う目的のものだったのか・・・。
父親は無事帰国しましたが、確認することができず、そのまま戦後70年過ぎてしまいました。
やたらに捨てることもできず、ようやく昨年、しかるべき所で処分してもらったそうです。
処分する前に写した写真があります。
薬品を入れる茶色いびん。しっかり閉じられたままの蓋。
はがれた水色のラベルの下の部分に、印字された「青酸加里」という赤い文字が残っていました。

ソ連侵攻後、満州では各地で集団自決などがありました。
一斉に青酸カリが配られたという話はよく聞きます。
開拓史によると、この開拓団では自決はありませんでした。
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by kinen330 | 2016-05-08 18:04

満蒙開拓平和記念館の非公式ブログ。記念館にまつわるよもやま話を綴ります。


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