<   2016年 12月 ( 3 )   > この月の画像一覧

あんちゃん

親を亡くした兄妹。
逃避行の途中で川を渡る時、
「あんちゃん、あんちゃん」と呼ぶ妹を置いてきた。

彼が背負った痛みを、誰がどう癒すことができるのでしょうか。


このような歴史があったことを知ること。忘れないこと。
そこから始める。
[PR]
by kinen330 | 2016-12-18 19:00

ほろほろと

今日、93歳と91歳の可愛らしいおばあちゃん姉妹が来館。
お二人とも元教師で
お二人とも当時「分村」を出した村の国民学校に勤務していました。

「村役場の人がまた勧めに来た、という話をよく聞いた」
「みんな半強制的に行かされたんだに」
「村のお偉いさんたちは必死だった」
「私は高等科女子組だったけど、男子組の先生は割当てがあって大変だったようだ」

次々に繰り広げられる貴重な昔話し。

「引揚げて来た奥さんが丸坊主で。
髪の毛が1センチくらいで。
そうしないと帰って来れんかったんだなあ。
迎えに行って涙が出た」

91歳のおばあちゃんの旦那様は元関東軍でした。
「橋を壊して行け、っていう指示があったんだって。
だもんで開拓団の子どもたちが橋を渡れんかったのよ」

ソ連軍侵攻で国境近くにいた関東軍も南へ後退。
上からの指示は、ソ連軍が追って来られないよう「橋を壊して行け」でした。
関東軍を追いかけるように逃避行した一般の人々は、
橋が壊されたため川を渡らなければなりませんでした。

お二人の記憶からほろほろとこぼれ落ちてくる言葉を
なんとかとっておきたいと書き留めています。
[PR]
by kinen330 | 2016-12-08 19:35

神戸地裁

「これで日本人になったと感じ、とても嬉しくて思わず涙が出ました」

2002年以降、全国15の地域で中国残留孤児国家賠償請求訴訟が争われました。
兵庫原告団が争った神戸地裁は唯一勝訴しました。
今年はその判決から10年。明日4日には神戸で10周年記念集会が開催されます。

「国は残留孤児の人権を返せ!」
“日本の地で、日本人として、人間らしく生きる権利”を訴えた裁判でした。
神戸は国の責任を明確にした判決が下った唯一の裁判でした。
残留孤児が生じた原因が政府の施策によるものであり、政府には残留孤児の消息の確認・早期帰国に向けた大きな政治的責任があったと指摘。また、日本社会で自立して生活するために必要な支援をする法的義務があったとしました。

原告団は涙を流して喜びますが、国はすぐ控訴します。
2007年、全国の裁判が長引く中で国は新しい支援策を提示。その内容に納得できない兵庫原告団は受け入れに反対でしたが、全国の原告団と歩調を合わせる苦渋の決断をし、その支援策を受け入れる形で裁判は終結しました。

10年経過した今、中国帰国者たちはそれぞれ10年歳を重ね、介護の問題や依然として立ちはだかる言葉の壁、2,3世の生活など多くの問題に直面しています。
それでも、二つの国で生きた自分たちが日中友好のかけはしとなって役に立ちたいと願っています。

明日の集会では、原告団の元残留孤児の皆さんが、自らの体験や思いを訴える朗読劇が上演されます。
勝訴判決から10年の今、彼らが社会に問うものは何か。
私たちはしっかりと耳を傾けなければなりません。
この問題の終わり方は、まだ見えていないのです。


(朗読劇「私たち『何じん』ですか? part2」のシナリオと、10周年記念集会の案内状を参考にしました)
[PR]
by kinen330 | 2016-12-03 19:26

満蒙開拓平和記念館の非公式ブログ。記念館にまつわるよもやま話を綴ります。


by kinen330
プロフィールを見る
画像一覧