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これから

「今の私たちができることは、過去のことをもとにして、
 これからの私たちが態度で表すことだと思います。
 今を創る私たちは、過去を後悔するのではなく、
 悲しみや苦しみを背負って、
 これからを創っていくことだと私は思います。」

記念館を見学した阿智村の小学6年生の感想です。

子どもたちはやわらかい心で大切なことに気づき反応します。
歴史を学ぶことは、どのような「これから」を創っていくかを考えること。


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by kinen330 | 2018-02-22 19:03

白樺の丸太板

「昭和十九年一月 満洲 小姑舎訓練所 
 一少年訓練生 この白樺をひいて我がためにもち来たる
 姓も名も不詳」

兵庫県にお住まいのNさんから、古い白樺の丸太板を寄贈いただきました。
直径30㎝、厚さ3㎝。
Nさんの父親が満州から持ち帰ったもので、
戦後しばらくして片面に文章をしたためたようです。

父親は教師で青少年義勇軍の送出に関わりました。
当時、教師たちは送り出した教え子たちの激励と視察を兼ねて
満州の訓練所を訪問していました。
昭和19年。訪問した訓練所で、名も知らぬ少年が記念に持ち帰ってほしいと
わざわざ山から切って持ってきたのだそうです。

戦後、満州や義勇軍のことはほとんどしゃべらなかった父親。
でもこの板はずっと玄関に置いてありました。

「お父さんはどんな思いでこの板をとっておいたのでしょう」
「自責の念だったんじゃないですか」

Nさんは批判もしたそうです。教師である父親の責任。
でもこの板は父親が亡くなっても、家を建て替えても、捨てられずにいました。

少年は何を思って渡したのでしょう。何を託したのでしょう。
彼が生きて帰って来たのかどうか、もちろん分かりません。

時空を越えて記念館にたどりついた白樺の丸太板。
ずしりと思い丸太板です。


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by kinen330 | 2018-02-08 19:08

消していた記憶

「記憶を消していたんです。
 消さないと生きていけなかったから。
 覚えていたら生きていけなかったから。」

昭和18年、Hさんは小学校に上がる春に満州へ渡りました。
父親は教師。母親は助産婦。
伯母さんが行った開拓団で助産婦がいなくて困っているという話があり
一家で行くことになりました。

そして、3年生の夏。ソ連侵攻。

Hさんは満州の記憶を消していましたが
50歳くらいになって体験談を書いてほしいと頼まれ
母親から当時の話を聞きました。
すると、消していた記憶が鮮やかによみがえってきました。

逃げ込んだコーリャン畑で、1メートル横を走っていた同級生が撃たれたこと。
川に流される子供の声。
「おかーちゃーん、たすけてー」と叫ぶ声。

40年間、消していた記憶でした。

人は、生きるために記憶を消し、またよみがえらせることもできる。
強烈な体験をした人にはあることなのかもしれません。
よみがえらせた時に、ともに向き合い支え合う人がそばにいてくれただろうか。
満州から帰ってきた人々の戦後に、思いを致します。






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by kinen330 | 2018-02-01 18:23

満蒙開拓平和記念館の非公式ブログ。記念館にまつわるよもやま話を綴ります。


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