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幸せとは

「私たちのような若い人たちに伝えたいことがあればお願いします。」

女子短大の学生さんたちが今年も来てくれました。
介護福祉の勉強をしている皆さんです。

語り部のおばあちゃまHさんのお話しのあと、このような質問がでました。
そこでHさん、
「自分は大事な人間だということを信じてください。それが幸せになることだと思います」と。
Hさんは自分よりも親が言うことを信じて大人になったと言います。
大人が言うこと。国が言うことを信じた・・・。

3人の子どもを育て上げ、今はひとり暮らしのHさん。
自分だけの食事は作り甲斐がないよ、と笑います。
83歳の今でも時々、近くの養護老人施設へボランティアに行きます。

「ひとのために尽くすことは幸せです。
 みなさん、介護の仕事を選んでくれてありがとう。
 私もいつかお世話になるかも知れません。」

いろいろなことを乗り越えてきたHさんの言葉を
若い人たちはどう受けとめたでしょうか。



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by kinen330 | 2018-04-28 11:55

あきらめきれない

「どうしてもあきらめきれなくて。何か手掛かりがあるんじゃないかって。」

80歳前後の姉妹が車で2時間以上かけて来てくださいました。
お兄さんが昭和20年の3月、18歳で満州へ行き、そのまま消息不明。
官吏のような仕事だったそうで、当時、満州から来た手紙に「東安」という地名が書かれていたことだけは覚えているとのこと。
開拓団ではないので記念館では名簿もなく、お力になれません。

戦後、公報(死亡告知書)を受けとるように役場から何度も連絡がありました。
両親は拒み続け、だいぶ後になってからお葬式を出しました。
お墓には「昭和20年8月9日」と刻まれています。ソ連侵攻の日です。

妹さんは「いつまでもこだわっていないで忘れろ」と言います。
でも、お姉さんの方はどうしても納得ができずにいました。

敗戦の混乱の中、満州では大勢の人が消息不明となり、
戦後「未帰還者特別措置法」で死亡宣告を受けています。
最期を見届けた人もなく、当然遺骨も何もありません。
納得いくはずがありません。

ぽろぽろとこぼれる涙。

忘れなくていいと思います。
納得しなくていいと思います。
お兄さんのための涙は、戦争への怒りの涙。
個人の生死も尊重されない、尊厳を奪われるのが戦争であり
その事実を容認してはいけないのだと思います。















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by kinen330 | 2018-04-08 19:26

おおばこ

「自責の念にかられています。家族全員帰ってこれたんです。」

受付でいきなりこのようにおっしゃるIさん。
終戦の時は5歳でした。
父親は昭和7年に渡満。軍属でした。
「はじめのうちはいい生活だったそうです。いばっていたんでしょう。」
自嘲気味におっしゃいます。
途中から「新京畜産獣医大学」に希望して移り、軍馬の飼育に携わったそうです。
そこでは現地の人たちとも仲良くやっていて、
ソ連侵攻後はかくまってもらい、
戦後も文通を続けていました。
国交正常化前に亡くなってしまい、再会は叶わなかったそうです。

少年だったIさんにも引揚げ時の断片的な記憶が残っています。
溜まった泥水でおおばこをゆすいで食べたこと。
「内地が見えたぞ」とみんなが沸き立った時、
その引揚げ船から海に飛び込む人がいたこと。
望まない妊娠をしていた女性だったことを後で知ります。
降り立ったのは博多港でした。
戦後70年の節目の年、奥さまと博多港に行ってきたそうです。

複雑な思いが去来する「満州」。
「この歴史をぜひ伝えていってください。また来ます。」
目を赤くして帰って行かれました。







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by kinen330 | 2018-04-06 19:36

満蒙開拓平和記念館の非公式ブログ。記念館にまつわるよもやま話を綴ります。


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