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り しゅんりん

12歳で終戦。両親を収容所で失う。
拾ってくれた家庭では、豚の世話と子どもの世話が仕事だった。
はじめのうちは中国語が分からず、叩かれながら仕事を覚えた。
頭が傷だらけになっていた。
それでも命の恩人だった。
あまりの酷い仕打ちに、隣の家のおばさんがいつも助けてくれた。
日本人だって人間だ、と。
そのおばさんの夫は日本の関東軍に殺されていたことは後で知った。

「リーベンクイズ(日本鬼子)」と呼ばれていた。
何の意味か分からず返事をしていた。

ある日、庭で「満州国」当時の貨幣を見つける。
ああ、なつかしい。
子どもに見つかり取られてしまうが、誤って飲み込んで喉に詰まらせるハプニング。
「お前のせいだ」と殴られる。
近所の人たちも「ここにいたら殺されてしまう。逃げろ」という。

チャンスをうかがい、駆け出す。
必死で走る。鎌を持って追いかけてくる。氷が浮かぶ川を泳いで渡る。
氷が頭にあたる。防寒着が水を吸う。重くても痛くても泳ぐ。
向こう岸の草をつかんで這い上がる。

姉がもらわれていた李さんの家に逃げ込む。
以前から「うちに来い」と言われていた。「うちの息子になれ」と。

「り しゅんりん(李 春林)」

「いい名前をつけてもらいました」
中国養父母につけてもらった名前。
誇らしい名前だ。





by kinen330 | 2018-08-25 19:25

“伝え手”となる高校生

今日は「鎮魂の夕べ」。記念館の慰霊祭でした。

松本市の梓川高校の生徒さんたちが紙芝居を上演してくれるということで
例年以上の大勢の参加がありました。

高校生は地元の元開拓団、お二人の話を聞き取り、
自分たちでオリジナルの紙芝居を作り上げました。
彼らにとっては遠い遠い昔の話。
当時の服装や道具や建物など、絵にするのは難しい作業だったと思います。

脚本では、極限に追い込まれた人たちの立場に寄り添ったことばが使われていました。
そして、

「人々は生きることに苦しみました」

このことばが心にささりました。
終戦後の満州での避難民生活。
生と死が隣り合わせにある状況で、死と同じくらい生きることも苦しかった。
絶望と貧苦の中で生きていかなければならない人々。
そうですね。人々は生きることに苦しんだのですね。

高校生との学びの中で、持っている力、感性の豊かさにどきりとさせられることがあります。
いつの間にか“伝え手”となっている彼らは、頼もしい仲間たちです。





by kinen330 | 2018-08-11 20:26

満蒙開拓平和記念館の非公式ブログ。記念館にまつわるよもやま話を綴ります。


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