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あの日

あの日に何が起きたのかだけではなく
その日までに何があったのかを考えたい

あの日は突然やってきたのではなく
その日までの道のりがあったのだ

あの日を記憶にとどめるだけではなく
その日から振り返り さかのぼり たどっていく

「なぜこんな目に合わなければならなかったのか」という叫びに
応えなければならない
戦争の実相は あの日だけではない

# by kinen330 | 2022-08-15 17:56

謝罪も補償も

「こんなに大変な目にあった開拓団やそのご家族に政府は謝罪や補償をしたのですか。」

昨日、県内某市の教育委員会主催平和体験研修で中学生19人+大人数名がやってきました。
平和講話→展示見学→証言映像視聴→ワークショップ
約3時間のプログラムの最後は質問タイム。
疑問質問を出し合いみんなで考えました。

「どうして長野県がたくさん開拓団を送り出したのですか。」
この答えを見つけるためにやってきたというすみれちゃん。
これに対してコータローくんは世界恐慌による養蚕業の衰退について説明してくれました。
「そのほかの原因は何か考えられないでしょうか?
 そういえば、この前来た中学生が、長野県の人はだまされやすいんだ、って言ってたよ」
と振ると
「上からの命令を自分でしっかり考えず、ただ信じて一生懸命に取り組んだんだと思います」
同行していた先生のお一人からこんな意見が。
それを受けて「長野県の人は信じやすいのかな」という声も。
「なるほど、だまされるっていうより、信じやすいっていう感じかな。」

学び合いという豊かな時間はあっという間に過ぎていき・・・。
最後の質問が
「こんなに大変な目にあった開拓団やそのご家族に政府は謝罪や補償をしたのですか。」

「ウクライナのことがあり、子どもたちに平和をどう伝えるのか、とても難しい。
 でもこうして同じテーマをみんなで話し合うことが大事ですね。」
帰り際、教育長さんがしみじみとおっしゃていました。

政府による謝罪も補償もありません。
でも私たち市民ができることをしていきます。


# by kinen330 | 2022-08-13 11:55

ひらがな

Eさんは小学校に通うのが楽しくて仕方がなかった。
1年生ではカタカナを習う。
2年生で、ひらがなだ。
「ひらがなって、やわらかくて流れるように綺麗でしょう。
 2年生になってひらがなを習うのが楽しみだったの。」

しかし、家族は満州へ渡ることに。
父と母、兄と妹弟の6人家族。
Eさんだけ断固反対。
ふるさとの村を離れたくない。
「お前一人になってもいいんか?」
説き伏せられ、昭和16年6月、
Eさんは2年生の途中でふるさとを離れた。

ひらがなの勉強は、開拓団の学校でも続いたはず。
でも、Eさんは、何かを奪われたままなのだ。
7歳の少女が奪われたもの。
それは、現地召集されて亡くなった父、
栄養失調で亡くなった妹、
中国人に預けたまま再会が叶わなかった弟、
そして、自ら選んだ人生を生きる、ということなのかもしれない。




# by kinen330 | 2022-07-05 18:55

死への途上

「もっと大きい石があれば死ねたかしれん。」

半年ぶりの久保田諫さんの語り部だった。
女、子どもがお互いの首を絞め合った73人の集団自決。
最後に残された二人は、一緒に死ねる手段を考えた。
手首の血管を死ぬ気で食いちぎっても死ねなかった。
闇の中のとうもろこし畑を這いつくばって石を探す。
手のひらにおさまるほどの小さな石しか見つからなかったが、
それを右手に握りしめ、左手でお互いの肩をつかみ、
殴り、殴られ、、 殴り、殴られ、、 殴り、殴られ、、
眉間から生温かい血が「でれでれでれでれ」流れる。
気絶。

「まわりの人たちが首を絞め始めたのを見た時、どう思いましたか。」

聴講に来ていた高校生からの質問に、しばらく考え込み、
「あの時の気持ちは・・・。ああ、日本はおしまいかって思ったね。」
当時15歳の少年、久保田さんも首を絞める「お手伝い」をした。
小さい子どもから順番に。
おばさんたちは歳の大きい人から。
久保田さんは「お手伝い」をしながら、自らも死に向かっていたのだ。

何度も繰り返し聴いてきた体験者のお話も、
ふと、その情景や心情に深く分け入るきっかけがあり
改めて気付くことがある。
息を吹き返し、生きて帰ってきた久保田さんには
人を殺めたという体験が残ってしまったが、
その人たちの死は自らの死でもあった。
少年も、死への途上にいたのだ。


# by kinen330 | 2022-06-26 11:19

その葛藤も

「あ、この人、知ってる! 小木曽さん」
「こっちに中島多鶴さんもいるよ」

飯田市からやってきたC小学校6年生4人。
事前学習で記念館から貸出しをしているDVDを見てきました。
その中に登場する方々の顔写真が
展示「証言 それぞれの記憶」のコーナーに並んでいるのです。

既に亡くなられた方々も、
こうして子どもたちの中で生き続けるのだと思うと
とても嬉しかったです。

先日、語り部のMさんがお亡くなりになりました。87歳でした。
「満蒙開拓とは何だったのか」を問い続けた人でした。
「好きで満州へ行ったんだろう」という自己責任論を甘んじて受け入れつつ、
でも・・・
関東軍の謀略や、"国策”として推進されたことや、
信頼していた関東軍が先に南下していたことなどが
開拓団の人々のあのような犠牲を生んだのではなかったのかと、
いつも葛藤しながら、苦しみながら、自問するように語っておられました。

Mさんは私の中で生き続け、
私はその葛藤も引き受け、考え続けたいと思います。




# by kinen330 | 2022-06-23 19:42

満蒙開拓平和記念館の非公式ブログ。記念館にまつわるよもやま話を綴ります。


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