あきらめきれない

「どうしてもあきらめきれなくて。何か手掛かりがあるんじゃないかって。」

80歳前後の姉妹が車で2時間以上かけて来てくださいました。
お兄さんが昭和20年の3月、18歳で満州へ行き、そのまま消息不明。
官吏のような仕事だったそうで、当時、満州から来た手紙に「東安」という地名が書かれていたことだけは覚えているとのこと。
開拓団ではないので記念館では名簿もなく、お力になれません。

戦後、公報(死亡告知書)を受けとるように役場から何度も連絡がありました。
両親は拒み続け、だいぶ後になってからお葬式を出しました。
お墓には「昭和20年8月9日」と刻まれています。ソ連侵攻の日です。

妹さんは「いつまでもこだわっていないで忘れろ」と言います。
でも、お姉さんの方はどうしても納得ができずにいました。

敗戦の混乱の中、満州では大勢の人が消息不明となり、
戦後「未帰還者特別措置法」で死亡宣告を受けています。
最期を見届けた人もなく、当然遺骨も何もありません。
納得いくはずがありません。

ぽろぽろとこぼれる涙。

忘れなくていいと思います。
納得しなくていいと思います。
お兄さんのための涙は、戦争への怒りの涙。
個人の生死も尊重されない、尊厳を奪われるのが戦争であり
その事実を容認してはいけないのだと思います。















# by kinen330 | 2018-04-08 19:26

おおばこ

「自責の念にかられています。家族全員帰ってこれたんです。」

受付でいきなりこのようにおっしゃるIさん。
終戦の時は5歳でした。
父親は昭和7年に渡満。軍属でした。
「はじめのうちはいい生活だったそうです。いばっていたんでしょう。」
自嘲気味におっしゃいます。
途中から「新京畜産獣医大学」に希望して移り、軍馬の飼育に携わったそうです。
そこでは現地の人たちとも仲良くやっていて、
ソ連侵攻後はかくまってもらい、
戦後も文通を続けていました。
国交正常化前に亡くなってしまい、再会は叶わなかったそうです。

少年だったIさんにも引揚げ時の断片的な記憶が残っています。
溜まった泥水でおおばこをゆすいで食べたこと。
「内地が見えたぞ」とみんなが沸き立った時、
その引揚げ船から海に飛び込む人がいたこと。
望まない妊娠をしていた女性だったことを後で知ります。
降り立ったのは博多港でした。
戦後70年の節目の年、奥さまと博多港に行ってきたそうです。

複雑な思いが去来する「満州」。
「この歴史をぜひ伝えていってください。また来ます。」
目を赤くして帰って行かれました。







# by kinen330 | 2018-04-06 19:36

知らなかったことのショック

「私たちはこの歴史をどうして知らないのでしょうか」

先日、10人ほどのグループをガイドし終わった時、ある男性が言いました。
その通りです。
この率直な疑問に、大いに共感します。

男性は続けました。
「この歴史はごく一部の研究者たちの中では知られていたことなのでしょう。
 でも多くの人たちは知らない。
 どうしてなんでしょうか。 
 私は日本の教育に問題があるんだと思います。
 ・・・
 だから、このような記念館は貴重です。」

この記念館の展示も歴史のごく一部であり、不完全です。
満蒙開拓の歴史は広くて深くて複雑で、私たちも
まだ知らないことや検証しきれていないことがたくさんあります。
でも、ここにこのような場所があり、不完全だからこそ
これからも学び続け考え続ける必要が生まれるのだと思います。
満蒙開拓とは何だったのか。
そこから見えてくる私たちの社会とはどのようなものなのか。

知らなかったことのショック。
そこから始まる。そこが原点になるのだと思います。






# by kinen330 | 2018-03-05 19:31

溢れ出る感情

20人の団体さんを案内しながら次のコーナーへ行こうとしたところで
「ちょっと、ここで私の話をさせてもらいます」と男性がいきなり話しはじめました。
「私は昭和12年生まれ。13年にここへ渡っていきました。」

その方は県内から分村で送出された開拓団の人でした。
まさに満州育ち。
溢れ出る感情をなんとか抑えながら、でも話さずにはいられない、という様子でした。

近くの川でたくさん魚がとれたこと。
学校は遠くて馬に乗って行ったこと。
冬には川が氷るのを待って、父親たちが遠くの山へ薪を採りに行ったこと。

引揚げ後は「満州人」と馬鹿にされたこと。
何か物がなくなると「満州人がとった」と言われたこと。

お仲間は初めて聴いたという顔でしたが、じっと耳を傾けていました。

収容所の絵の前に来た時は一瞬離れて行かれました。
溢れ出る感情を飲み込んで、口を真一文字に結んで、
離れたところから私の説明をうなずいて聞いていました。

蓋をしていた満州の記憶は記念館にくるとよみがえるのでしょう。
楽しかったこと。辛かったこと。言えないこと。
抑えてきた感情を受けとめる場所でありたいと思います。





# by kinen330 | 2018-03-02 19:50

これから

「今の私たちができることは、過去のことをもとにして、
 これからの私たちが態度で表すことだと思います。
 今を創る私たちは、過去を後悔するのではなく、
 悲しみや苦しみを背負って、
 これからを創っていくことだと私は思います。」

記念館を見学した阿智村の小学6年生の感想です。

子どもたちはやわらかい心で大切なことに気づき反応します。
歴史を学ぶことは、どのような「これから」を創っていくかを考えること。


# by kinen330 | 2018-02-22 19:03

満蒙開拓平和記念館の非公式ブログ。記念館にまつわるよもやま話を綴ります。


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