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生命の輝き

「引揚げの旅は素晴らしい旅だった」
加藤登紀子さんのお母様は、ハルビンから葫蘆島までのその苛酷な移動を
このように表現したという。
明日をも知れない状況の中
「今という瞬間を精一杯生きているのよ。
 精一杯、今日も生きたね」
ということを皆で共有しながら葫蘆島へ向かった日々。
生涯の中でたぐいまれな大切な旅だった、と。

王希奇氏が描いた「一九四六」の人々は
そのような旅を続けようやく葫蘆島に辿り着いた人々だ。
年寄りを背負い、子どもに乳を飲ませながらも、歩いている。
生きようと、生きて祖国へ帰ろうと歩いているのだ。
その"人間の生命の輝き”が、差し込む光ではなく、
自ら輝く「ホタルの光」として散りばめられている。

6日間の「一九四六」展が無事に終了した。
2,000人を超える来場者それぞれが、
あの引揚者たちの一員となってともに歩きながら
耳を傾け、語りかける。
記念館という空間の中で交わされる絵との対話。
それはやはり素晴らしい時間であり、素晴らしい旅であった。

ご来場いただいた皆さま
この展覧会を支えてくれた方々、仲間たちに
心からの感謝を。



# by kinen330 | 2023-03-26 19:42

「戦争はいけない」を問う

ー 戦争はいけないこと。
  それはいいと思うが、もしも日本が他国に攻められたら
  その「戦争はいけない」という姿勢はどうなるのか。
  おそらく「自分たちからの戦争」は起こさないという意味だと思うが、
  それにしても、ただただ「戦争はいけない」と主張しても、
  何の意味があるのか分からない。 ー

中学生からの質問だ。
大人たちが言う「戦争はいけない」は、欺瞞であり偽善なのではないかという
鋭い指摘だ。
平和学習の本質を問うものでもある。

私たちの国は今、攻められたらやり返す力を持とうとしている。
迎え撃つ力だけでなく、攻める力。
これって、「いけない戦争」をするということなのか。
それは許されるのか。

ただただ「戦争はいけない」と主張するだけでなく、
考えよう。意見を交わそう。
持つべき力は何なのか。
そのためには何をするべきなのか。


# by kinen330 | 2022-12-17 18:24

友音ちゃんのレポートから

「同じ人間同士が傷つけ合うのは なぜなんだろう」

もともと戦争に興味を持っていたという友音(ともね)ちゃんが
中学1年生の夏休みに調べ学習に選んだテーマが「満蒙開拓」でした。
図書館の司書さんに本を紹介してもらったり、記念館に来て調べたり、
1ヶ月かかってまとめたレポートは60ページもの大作。
論文なみに章立てになっており、最終ページには参考・引用文献もずらり。
地図や表や年表あり。かわいいイラストも散りばめられています。

この友音ちゃんレポートに出会ったのは昨年7月。
講演会の講師でお呼びいただいた会場のロビーに
主催者の公民館長さんが、地元の中学生の作品をぜひ見てほしいと
1ページずつコピーしてずらりと展示してくださっていました。
へ~~と読んでいくうちにしだいに引き込まれ、まだある、まだある・・・。
この分量と、この内容を中学1年生が!ととても感動しました。
ちょうど、子ども向けの図録のようなものを作りたいと思っていました。
これだ!
友音ちゃんとご家族に許可をいただき、補足や編集・構成などなど
出版社やデザイナーの方々とやりとりしながら1年以上かかりましたが
ようやく『友音ちゃんとたどる満蒙開拓の歴史』という冊子となって出版にいたりました。

11月26日、友音ちゃんと公民館長さんと一緒に出版会見を開きました。
新聞記者さんからのいろいろな質問に答える友音ちゃん。今は中学3年生。
満蒙開拓をテーマにしたきっかけは?との質問に
「もともと戦争に興味がありました」との答え。
さらに、どうして戦争に興味があったのか?との質問に
「同じ人間同士が傷つけ合うのは なぜなんだろう」と思っていたとの答え。
・・・たしかに。その通り。
どうして同じ人間同士が傷つけ合うのでしょうか。
戦争って、そういうことだよね。
隣で受け答えを聞きながら、やはり、友音ちゃんの中に平和への強い思いがあったこと、
それがあの60ページものレポートを書くエネルギーになったことに改めて感心しました。
そして、何より友音ちゃんが強調したのは「同世代の人たちにこの歴史を知ってほしい」という願いでした。

『友音ちゃんとたどる満蒙開拓の歴史』は
友音ちゃんの「なぜ? どうして?」を一緒に考えながら歴史をたどる内容となっています。
ぜひお買い求めください。
 ↓


# by kinen330 | 2022-11-30 18:38

被告席

「服を脱いでシャワー室に入れられ、
 濡れた裸のまま 男たちに髪の毛を丸刈りにされ、
 投げつけられた服を下着もないまま着る。
 窓に映った姿を見ても どれが自分か分からなかった。」

1944年、ハンガリー領になったルーマニア西部の町から
アウシュビッツへ収容されたヘディさん94歳のお話を
オンライン講座でお聴きしました。
その町に住んでいた3万人のユダヤ人のうち
生還できたのは2千人だったそうです。
ヘディさんも両親や友だちを亡くしました。

「50年間、話すことができなかった。」
あの恐怖、あの屈辱、怒りや恨み、悲しみや苦しみを心の奥底に沈めたまま。

2015年、ドイツで元ナチ親衛隊 オスカー・グレーニングの裁判が行われました。
ヘディさんはその裁判に出廷し、証人の一人として自分の体験を証言しました。
「ドイツへ行きたくなかったが、声を奪われた人々、
 亡くなった人たちのために行こうと思った。」
この史実にしっかりと向き合うドイツの若い世代の人々とも出会うことができました。
この体験についてヘディさんは、
「亡き両親のお墓に花を供えられたような思い。
 ドイツへの憎しみから解放された。肩の荷が下りた」と語りました。

被告席に座ったグレーニングは当時93歳。
ドイツは今でもナチの犯罪を問い続けています。

では、被害と加害が絡み合う「満州」の犠牲に対して
被告席に座るのは誰なのでしょうか。
空席のまま77年。
せめて、この歴史に向き合い続け、当事者のお話を聴くことが、
私たちの責任だと思います。


# by kinen330 | 2022-10-30 13:40

国交正常化

半年ぶりに来ていただいた語り部Kさん。
12歳で終戦を迎え、両親を亡くし、中国養父母に育てられました。

文化大革命の真っ只中、日本との国交が回復するという噂が聞こえてきました。
1971年、名古屋で開催された世界卓球選手権に中国が参加。
いわゆる「ピンポン外交」のきっかけとなったその新聞記事を目にします。

1972年、日中国交正常化。
「日本に帰りたかったけど、帰れるとは思っていなかった。」
あきらめていた帰国。
情報が閉ざされた中国農村部で生活していた残留邦人にとって
そのニュースはどれほどの衝撃だったでしょう。

国交正常化から50年という節目をKさんはどのように受けとめているのか。
さぞ、感慨深いだろうとたずねてみると、
「もうちょっと早ければね。」

そのニュースが届き、すぐに手続きをしたKさん。
身元引受人をお願いするのに何度も何度も手紙を書き、ようやく1974年に帰国。41歳でした。
その後、忘れていた日本語を取り戻しながら、中国人の妻と7人のこどもたちを
必死に育ててきました。
同世代の人たちは中学、高校と進学し、高度経済成長の恩恵を少なからず享受し、
当たり前のように日本での暮らしを営んでいました。
バスに乗ってもアナウンスが分からず、病院にかかるにも言葉が通じず、
ホームシックにかかる妻や学校になじめない子どもたちの不安や不満を一身に背負い、
がむしゃらに生きてきたKさん。
もう少し、早く帰国できていれば・・・。

50年の感慨、などではない。
遅かった。
遅かったのです。

# by kinen330 | 2022-10-24 20:41

満蒙開拓平和記念館の非公式ブログ。記念館にまつわるよもやま話を綴ります。


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